長野県松本市安曇

1969年12月28日~1970年01月04日 20歳


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ゲレンデスキー』  初めてのスキーは信州のスキー場で5日間の猛特訓とするが、上達はしなかった。
20歳になって人生初のスキーを練習する。
  春から秋までは素潜りを楽しめたが、冬の遊びとしてはスケートとMX走行くらいしかなかった。
相棒はある程度、スキーを経験しており、基本位なら教えて貰えるので、本場、信州に行って初スキーを経験することにした。 費用節約の為に真冬の乗鞍高原で車中泊をすることにした。 友達からかき集めて来た安物のシュラフを2枚重ねで寝たが、それでも零下になる社内は相当寒かった。
  教えてくれる相棒のスキー技術も、まだまだの初心者の段階だったので、5日間の特訓でも巧くはならなかった。 それにはスキー板の長さに原因がある。
当時のスキー板の長さ。
  最近はファンスキーとしてのショートスキーが流行っているが、当時は雑誌でもスポーツ店でも、スキー板は身長+20cmを推奨していた。 この長さはベテランスキーが履く長さであり、初心者は板が重なって難儀するだけの長さであった。 当時、解説書もスポーツ店もバカなのだった。
初めてのスキー体験
  今考えると、初めてのスキーにはスキー学校に入る方が、その後の上達が数段早くなると思われる。 その後も見よう見まねでスキーの上達には随分と時間が掛かったと思う。
その後のスキーは
  世間はスキーブームとなって来て、会社の友達連中もスキーを始めたので、逆にスキーの先生になる立場になった。
乗鞍高原スキー場
12月28日
  前回、ドライブ中に泊った犬山市の旅館の娘さんと仲良くなり、旅館に泊めて貰う。
12月29日(車中泊)
  一般道を走り、タイヤチェーンを付けて乗鞍高原に入る。 雪原を寝床を探してウロウロしていると
車がスタックしてしまったが、地元の方、5~6名が来て車を担ぎ上げてくれた。
  車中泊と自炊とするが、雪を溶かして水を作ったので、飯が食えるまで時間が掛かってしまった。
12月30日(車中泊)
  やはり車中泊は寒かった。 車の窓ガラスには吐息が凍って綺麗な結晶となっていた。
相棒にスキーなる物を教えて貰う。 スキーなんて脚力さえあれば曲がるものと思っていたが、現実は力で曲がるものでは無かった。 緩斜面の鬼となり、ひたすらボーゲンを練習する。
  偶然、中学生時の同級生と出会い、車中泊をバカにされる。
12月31日(車中泊)
  斜滑降、ボーゲンからクリスチャニアの練習に入るが、難度が高く、まったく巧くならない。
スキーの難度が上って来ると、転んでばかりとなる。 中学時代に片思いしていた同級生が来ていた。軽く挨拶すると、彼女はスキーツアーで来ていて、スキー学校で練習していると言っていた。
1月元旦(車中泊)
  寒くて寝て居られない。 明けましておめでとう御座います。 当然、おせちはなく、雑煮で済ます。
  相棒のスキー靴が凍ってしまっていたので、近くのロッジに行ってストーブで靴を解凍する。
まだ、ボーゲンながら曲がりたい所で曲がることが出来る様になり、スキーが面白くなって来た。
  スキー学校の横で、練習を盗んでいると、あっちへ行けと怒られてしまった。
調子に乗って上級者向き斜面に行ってみると、予想以上の難儀して、下るだけでも大変だった。
1月2日(車中泊)
  今朝も車の中は氷のお城になっていた。 ミカンも生卵の凍ってしまっている。
今日もシュテム・ボーゲンの練習に励む。 2人共に疲れが出て来て15時には練習を終了する。
  自炊用のバーナーが故障してしまい、修理に時間が掛かってしまった。
1月3日
  スキーも今日が最後なので シュテム・シュヴィングを徹底的に練習する。 しかし、連日の不規則な生活から疲れが溜まり、午前中で切り上げて帰宅準備をする。
  車のセルを回すと、低温からバッテリーが弱り、オイル粘度が高くなっているので、セルはやっとこさしか廻らない。 しかし、エンジンは始動してくれた。
  帰りも犬山市の旅館に寄り、泊めて貰う。
1月4日
  一般道で帰路に付く。 この後、スキーにはハマってしまった。
のりくらこうげんスキーじょう
Road Map :名古屋からR19を松本まで走り、R158で乗鞍高原に向かう。
Route Map:緩斜面でひたすら、スキーの基本練習を行った。

スキー初体験
松本市街からR158を安房峠に向かい、前川渡大橋を左に曲がって、乗鞍岳畳平に向かう県道84号線に入る。
車中泊地点から見た ”乗鞍岳連峰”。 以下、白黒写真であるが、パソコンで疑似カラー化している。
5日間の宿としたくマツダ1200クーペ。
エンジンの冷え過ぎを防ぐ為にラジエータを半分塞いでいる。
寒くて我慢出来ない時用に54Lのガソリンをルーフキャリアに
積んで来たが、車のヒーターで暖を取ることはなかった。
食事は3食共に自炊とする。
190cmのスキー板の長さが上達を阻んだ。
スキーはヘタクソであったが、体力だけは充分あった。
安物のシャラフを2枚重ねて、それに毛布を入れて寝床としたが、
朝方には寒くて目が覚めてしまう。
吐息の湿気が窓のガラスで冷やされて綺麗な氷の結晶が出来てくれる。
スキー何て、脚力さえあれば曲がると思っていた、おいらがバカだった。ボーゲンでの止まり方から教えて貰う。
バリバリのボーゲンを力で曲げようとしている。
今回の指導員もまだ上手い方では無いので、生徒も上達は遅い。
緩斜面で基礎練習をしてからリフトに乗るが、
初心者用ゲレンデでも下るのは怖かった。
山小屋泊りと一緒で、5日間は風呂に入っていない。
トイレはロッジの物を無断借用していた。
パソコンでの疑似カラー化が巧く行かなかった写真。
暇潰しに書いた周辺のスケッチ。 ロープ塔で何度も練習してから、中級者ゲレンデに行ったが、下りには大難儀した。
雪を溶かしてから食事を作るので、食事を作る時間はかなり掛かった。
沖縄40日間徒歩旅行の相棒が、今回のスキーの先生になってくれた。
ヘタクソであろうが、何をしても楽しい歳である。
モトクロスをしていたので、スピードに対する恐怖は少ないと思うが、スキーにはスキーの怖さがあった。
自称、パワーボーゲンであり、思いっ切り脚力を使っている。
その後のスキーブームの前であり、正月休みでも充分空いていた。
5日間の練習では シュテム・ボーゲン止まりで、
パラレルまではマスター出来なかった。
しかし、この経験で、その後、スキーにハマってしまう。
その後の経験ではスキー板を190cmから160cmに履き替えた時点で、一気に上達することが出来て、パラレルもクリスチャニアも出来る様になった。 スキー板の長さ、身長+20cmは、間違った選択であった。