アメリカ合衆国自治領、ミクロネシア連峰

1977年02月18日〜21日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』  ポナペ島は世界中を観光した者が訪れる辺地の島だった。
社長との話しの中で
  車は何に乗っているの? との話しの中で、おいらは ”ゼット”に乗っていると話しすると
ボクも ”ゼット”に乗っている、良い車だね。 の返答だった。 よくよく話しをすると、彼は
ニッサンの ”ファレディZ”であり、おいらは軽四の ”ホンダZ”だったので大恥を掻いた。  トラック諸島→サイパン島に続く
グアム島〜ポナペ島
  目的地は ポナペ島 であったが、ポナペ島への直行便がなく、グアム、トラックを経由して便を繋いで行く必要があったので、逆に色々な島を観光出来て、大儲けの感じだった。
 

観光パンフレットから地図を転用すると、フライト時間の記述があり、参考になった。
何をしても楽しい年齢だったのだろう。
'77年02月17日(27歳)に羽田空港を出発して、
その日にグアムの経由地に1泊する。
ホテルでのウェルカムパーティではミクロネシアダンスでの
おもてなしがあった。
次々とミクロネシアダンスが拾うされて行く。
夕食を通してツアーのメンバーと仲良くなる。 友達となったのは芦屋からの若社長で、ブランディを沢山呑ませてくれた。 カメラマンは知らぬ間に写真を撮ってくれた。 1人旅のおばさんは世界中、南極も行って、行く所が無くなったのでポナペ島に行くと話されていた。
ツアーのメンバーに太平洋戦争中にポナペ島で駐留して戦っていた
元日本兵が居て、懐かしのポナペ島を見に行くと話されていた。
グアム島→トラック島
翌日にはグアム島から経由地のトラック島に移動する。
飛行機からはトラック諸島の大環礁を見ることが出来た。
トラック島の滑走路は極端に短く、着陸時には急ブレーキを掛けられ、
全員、前倒れになる。 それでも、滑走路の終端ギリギリで止まる
恐怖の着陸であった。
これがポナペ流のお出迎えなのだろう。 おばちゃんだけでなく、若い娘も上半身スッポンポンだった。 ダンスは無く、歌だけ歌ってくれた。
男性陣はボディビルをしている訳では無かろうが、筋肉が凄かった。
この絵葉書にされた写真が何枚も残っており、誰がいつ撮って加工して
くれたのか? 購入したのか? プロカメラマンの彼が撮って送ってくれ
たのか、記憶がまったく残っていない。
焼き石で何かを料理しているものと思われるが、詳細は不明。
粗末な屋外観劇場でダンスショーを見ているものと思われる。 外国人観光客も多く居た。
ホテルの周辺は見事なお花畑となっていた。 山のお花畑と違い、年中咲いているのだろう。
写真とは関係ないがホテルの夕食が凄かった。ゴシキエビ、ガザミ等の
海産料理、トロピカルフルーツ、各種カクテル、大満足の夕食であった。
夜になるとホテルの裏の芝生に沢山のカエルが出て来ていた。
小型ボートに乗り込み、海上遺跡のナンマドール観光に向かう。
泳げる人はライフジャケットも着けずに余裕である。
現地の子供達は物乞いをすることなく、興味深そうに
にこやかに付いて来るだけだった。
桟橋も無い所に上陸する。
ヤシ林の内陸部に入って行くと、記憶から消えていた滝に出合っていたのだった。
写真を整理していて出て来たのが落差20m、巾30mの ”ケプロイの滝
こんな立派な滝を見ていたのに、すっかり記憶から消えていて、写真を見てびっくりだった。
他にも滝の写真を撮っていたが、不都合があり掲載は割愛している。
ネットを検索するとポナペ島では ”ケプロイの滝”は有名で、
雨量の多いポナペ島では他にも多くの滝があるらしい。
写真はネットから拝借しています。
自分好みの滝姿であり、こんな滝を見ていながら記憶から消えてしまうとは信じられない感じである。
滝壺より下流側を撮った写真であるが、モデルが悪過ぎた。
これは自分で撮っていた写真です。 滝壺は半径30m、
深さ2.5mあり、外国人が泳ぎに来ていた。
ナンマドール遺跡(ウィキペディアから)は、ミクロネシア連邦のポンペイ州に残る人工島群の総称であり、後述するように、その考古遺跡の規模はオセアニア最大とさえ言われる。 人工島が築かれ始めたのは西暦500年頃からだが、ポンペイ島全土を支配する王朝(シャウテレウル王朝)が成立した1000年頃から建設が本格化し、盛期を迎えた1200年頃から1500年(または1600年)頃までに多数の巨石記念物が作り上げられていった。 人工島は玄武岩の枠の内側をサンゴや砂で埋めて造ったもので、100以上とされる人工島は互いに水路で隔てられており、その景観は「太平洋のヴェニス」「南海(南洋)のヴェニス」、「ミクロネシアのアンコールワット」などとも呼ばれる。
トラック島→ポナペ島
ケイトウの仲間?
ニチニチソウによく似ている。
日本の温室でたまに見るヘリコニアの仲間。
たわわに実るパパイヤ
ケプロイの滝と海上遺跡見学に行く
海上遺跡ナンマドール観光
”ムー帝国”ではの話しもあるらしいが、当然、ウソ臭い。
どこの国の人は判らないが、多くの外国人も観光に来ていた。
これだけの玄武岩の柱状節理があることから、ポナペ島はサンゴ礁で
出来たのではなく、火山で出来たのではと想像出来る。
重機の無い時代に数トン以上の玄武岩を積み上げたのには驚きであるが、遺跡としての知名度は低い感じがした。
個人的にボートをチャーターする
午後からはバスで島内観光する時間であったが、おいらはポナペの海に潜りたく小型ボートをチャータして、サンゴ礁まで運んで貰った。 ところが芦屋の社長も行きたいと申し出て来たので、2人で素潜りを楽しむことにした。
サンゴ礁の海なんて、世界中は同じと思える程に沖縄の海と
変わらなかった。 個人的には沖縄の海で充分と思った。
社長は水面から離れない。 素潜りは得意では無い様だった。
ボートのチャータ料金はおいらが支払うつもりであったが、結局、社長が支払ってくれた。 毎晩のブランデーと共に有難う御座いました。
ミクロネシア周遊その1