京都府宮津市文珠
(高校2年生17歳)
1966年10月09日

日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』 1964年10月に自転車で走った同じコースをバイクで走る。
天橋立(天橋立観光協会のガイドの公式HPから抜粋)
  京都府北部、日本海の宮津湾にある『天橋立』は、陸奥の『松島』・安芸の『宮島』とともに、日本三景の一つ。 幅は約20〜170m・全長約3.6kmの砂州に約5000本もの松が
生い茂る珍しい地形で、何千年もの歳月をかけて自然がつくりだした神秘の造形です。
 天橋立を楽しむには展望所からの眺めはもちろん、天橋立の中を歩いたり、自転車や船に乗ったり、海水浴場で泳いだりと自然を感じていただける楽しみ方も人気です。
天橋立は、日本百選に多数選ばれています。
天橋立ツーリング
  兄貴に借りたホンダCB72以外に自分でもホンダベンリー125ccを持っていたが、基本、ツーリングは好きではなく、もっぱら河川敷でモトクロス練習をやっており、
全日本MX選手権の予選がやっとこさ通る位の腕にはなっていた。
天橋立ツーリング
  アルバムに写真が残っているから高校2年生の時に ”天橋立”にツーリングに行ったことが判るが、写真が残っていなけらば記憶も消え失せているだろう。
  旅行記を書き出したのは高校3年生からで、この頃はアルバムに落書きする位で参考になるデーターは殆ど無く、写真から推察するしか手が無かった。 まだカラー写真は一般化していなくて白黒写真の時代だったので、パソコンで疑似カラー化を行ったが、実際とは少し違うカラーになっていると思う。
あまのはしだてツーリング
Road Map :定かではないが、サイクリングと同じコースを走ったと思う。
Route Map:往路の峠で砂に乗りスリップ転倒をした。

出発時間、到着時間、帰宅時間の全ての記録は残っていない。
参加メンバーは中学港の同窓生である。
走行コースが青色で正しいとすると片道140km、往復で280kmとなる。
どこで記念撮影したのか記録も記憶も無し。 二輪免許所有者は3人のみ、
3台のバイクのツーリングであり、3人は恐怖のパッセンジャーとなる。
ヘルメットを持っている、被っている者が運転手である。
どこなのか判らないが、食事休憩のシーンだと思われる。
当時、コンビニは無かったので、食事は何をどこで買ったのか?
高校生で運転免許を取るのは禄でもない連中のすることであった。
ツーリングに行くのになんで学生服を着て来るの?
まだヘルメット着用に規制がない時代であるが、パッセンジャーがヘルメットを
被らないのは死を急ぐ様なものである。 単にヘルメットを持っていないだけで
あった。
2年前、自転車で走った時は歩道工事中の
地道であったが、今は綺麗に舗装されていた。
後続車でパッセンジャーをしながら、よくぞ写真を撮ったものだ。
少し前までは大型コンピュータでないと白黒写真の疑似カラー化は出来ない
ものであったが、今はパソコンで簡単に出来てしまう。 しかし、この色は
どこから導いてくるのか? 不思議な世界である。
写真は ”天橋立”到着となる。 注記の色々あってはは、小生が峠のヘヤーピンカーブでスリップ転倒したものである。
本人は革ジャンにヘルメットで武装しているのでケガはなかったが、パッセンジャーに軽いケガをさせてしまった。
ケーブルカーに乗って展望台へ上がる。
注記には ”笠松公園”となっているが、天橋立の形を見る限り”天橋立ビューランド”の間違いの様だ。
もやっていると、疑似カラー化も綺麗な色が出なくなる様だ。。
この写真は疑似カラー化で色化けしたので
白黒写真のままとした。
当時、二輪の免許書を取りに行くと言えば学校を休ませて貰えたものであるが、
その後、暴走族の出現と共に ”三無い運動”が発令されることになった。
兄貴に借りた250ccバイク、兄貴に貰った革ジャン、ヘルメットで帰路に着く。
当時ガソリンは55円/Lの固定価格であった。