鹿児島県奄美市名瀬

1972年04月28日〜05月08日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』  観光が目的ではなく、観光は暇潰しであった。 市街のパチンコ店で500円だけ勝った。
初めて奄美大島
  高校3年生の夏休みに沖縄に行った時、その時の船が奄美諸島の各港に停船する貨客船だったので、名瀬港にも停船していたが、その時は下船しなかったので、奄美大島に下り立つのは今回が初めてとなる。
  奄美大島は南国であるが、既に沖縄、石垣島を旅行しているので、奄美大島でのサプライズは何も無く、サンゴ礁の海も沖縄と変わらなかった。 今回、”イセエビ”は採れなかったが、リーフの外側に居ることだけは判ったので、リベンジは次回とする。
  当時:奄美、沖縄では素潜りで漁をするのは、許されている遊びで罪にはならなかった。
  正し、スキューバを使っての漁は犯罪となります。
旅行記を付けてなかった
  沖縄、石垣島を40日間の徒歩旅行をした時には、毎日、旅日記を付けていたが、今回の奄美大島は期間が短いこともあり、落書き程度のメモしかしていなかった。
  歳月が経つと記憶も薄れ、旅日記の重要性が問われる様になって来た。 後悔は遅過ぎた。
奄美大島観光
回顧録
  奄美大島名瀬に友達の親戚があり、宿泊させて頂けるとのことで、
G・Wを利用してモトクロスチーム仲間で観光と素潜り目的で行く事になった。 飛行機で往復したかったが、安月給サラリーマンなので、神戸港からの船便とした。 長い連休ではあるが、往復2日を船上で過ごした。
  最初は名瀬を中心に観光をしたが、目的はサンゴ礁の素潜りであり、
キャンプ道具を詰め込んだ重いザックを背負って、キャンプ出来る海岸を探すことにした。
結果としては、名瀬から芦花部海岸までを県道81号線を歩いたのであるが、途中に峠越えがあり、体力不足の体には随分堪えた。
何故、芦花部の海岸にしたのかは、歩き疲れたからだと思っている。
Road Map :名瀬港から県道81号線を北進し、芦花部の海岸に至る。
Route Map:芦花部の海岸にあった漁業道具小屋で2泊する。

最初のダイビングポイントは最北端の笠利崎の少し手前の用海岸とした。
海岸線沿いの平坦な道を歩くだけと思っていたが、県道81号線には峠越え
があり、これで一気に体力を失ってしまった。 昔のキスリングと言われた
テント布で作られたザックはザックだけでも重く、更にテントも今とは比べ物にならない程に重かった。
どうして ”芦花部”の海岸でキャンプすることにしたのかは記憶が無い。
写真には峠越えの道が写っているが、多分、あの道で疲れてしまったのだろう。
海岸からは比較的、近くにリーフがあり、素潜りには絶好のポイントだった。
”芦花部”の海岸にテントを張るつもりであったが、海岸に漁具を入れる小屋が建っていたので、漁民に小屋を使わせて頂きたい旨の相談をするとOKが出たので、中を片付けてペンション ”コジキハウス”をオープンした。 幸い横に水道はあったが、トイレは無しだった。
リーフの外側では昼間の素潜りだけを楽しんだが、相棒が ”イセエビ”のヒゲだけを折って獲って来た。 岩の割れ目の奥深くに ”イセエビ”が居たが、ヒゲしか掴めなかったらしい。 この話しを漁師にすると、漁師はその日に刺し網を入れやがった。 お前らプロだろうが!  今回 ”イセエビ”は
獲れなかったが、次回はナイトダイビングの準備をして挑みたい。
帰路の船では種子島に寄港し、荷下ろしの停船時間があったので、
少しの時間ではあったが、”西之表”の観光地を散策した。