2019年04月04日~06日



日本の海岸、湖
九州・沖縄エリアの滝』  奄美大島での滝巡りの困難さが不明なので2泊3日としたが、1泊2日で充分だった。
時間潰しに苦労する
  これ程に時間潰しに苦労するのなら、ガス代を使ってでも最高峰の ”湯湾岳”に登っていれば良かったのであるが、登らなかった理由は登山靴を持って来ていなかったからである。
  こうなるのを判っていれば奄美大島の滝見は1泊2日で十分だった。
奄美大島の滝巡り、観光
滝巡り及び思い出の地を尋ねる
4月4日  曇り時々晴れ
・レンタカー軽四3日間 免責付 \9,080 満タン返し。 ガソリンは¥152/Lと高かった。
マテリアの滝
タンギョの滝(地元の人がこう言っていた。)
新小勝の滝(アランガチの滝)
・今里海岸。 若い時に2回訪れている思い出の海。
・ゲストハウス ”涼風” 1泊¥1,980+駐車料金\300+シーツ代¥200
4月5日  曇り時々雨
・無名滝
タンギョの滝
フナンギョの滝
・有吉海岸。 若い時船具小屋を無断で借りてキャンプした思い出の海。
大浜海浜公園。 時間潰しをしただけ。
・ゲストハウス ”涼風” 1泊¥1,980+駐車料金\300
4月6日 曇り後晴れ
・ハートロック。 朝は満潮の時間であり見ることが出来なかったので昼前に再訪する。
・笠利岬公園。 笠利灯台への道は通行禁止だったので行かず。
・用海岸。 若い時にキャンプした海岸。 生まれて初めてのナイトダイビングでイセエビを捕る。
あやまる岬。 観光名所を散策する。
・大瀬海岸。 なんてことはない海岸。
・土盛海岸。 コバルトブルーの綺麗な海岸だった。
・ハートロック。 干潮になっているだろうから再度行く。
・奄美パーク。 時間潰しを行う。
・18時50分のフライトで帰宅する。
奄美大島の滝巡りと観光
 今回の主目的は滝巡りであるが、素潜りダイビングを趣味としていた若い頃に奄美大島を4度訪れており、素潜り仲間と大いに楽しませてくれたダイビングスポットがどうなっているのか確認したかった。  当時は魚を突こうがイセエビを獲ろうが島民の遊びなのでとがめられることは無く、地元漁民とも一緒に潜ったこともあるが、時代は禁漁にうるさくなり、犯罪扱いにされるようになってしまった。
なので素潜りダイビングは止めて山歩きに変更したのだが、趣味として楽しめるのは素潜りの方だった。
思い出の海岸を訪ねる以外に観光の予定はなかったが、滝巡りが以外と早く終わってしまい観光で時間を潰した。
バニラエアを利用すれば関空~奄美空港の往復が¥7,520。
この安値に飛びついてしまった。 しかし、ピーチエアでの沖縄の方が安かった。
関空発9時50分、奄美空港着11時40分、今日の半日は観光の予定であったが、
明日の天気は雨になるらしいので、今日の内に出来るだけ滝見をしておくことにした。
今里海岸  若い時に2回訪れている思い出の海。
今里漁港から見た ”立神”の今日の写真。
イセエビポイントの写真は撮り忘れた。
今から44年前、お世話になった民宿 ”潮どき”の旦那とおかみさん。
俺が奄美大島に行くと言うと、会社の同僚4名がイセエビが食べれると付いて来た。
集落のお婆さんに聞いて判った現在の ”潮どき”の建屋。
旦那さんは既に亡くなり、今はおかみさんだけが住んでいるらしいが、
会うことはしなかった。 ブロック塀の内側がイセエビパーティをした庭。
民宿 ”潮どき”の建屋の写真は
これしか撮っていなかった。
素潜りが出来ないのに足首にダイバーナイフを
付けているイヤな奴。
釣りをしたいと言うと御主人がサービスで船を出してくれた。
1日目は大した成果が出なかったが、ポイントが判った2日目には、知らない人にまで御馳走出来るイセエビが採れた。 イセエビを御馳走するとウィスキーを御馳走してくれた。
真っ昼間から釣れるバカな魚は居なかった。
ゲストハウス・涼風  1泊\1,980のゲストハウスに2泊する。 別途、駐車料金 \300、シーツ代 \200円が必要。
県道79号線沿いの名瀬朝仁町にあるゲストハウス ”涼風”
少し歩けばスーパーとコンビニがある。
”涼風”ではレンタカーを営業しており、ここでレンタカーを借りると
駐車場代が不要となるが、空港までの送迎に別途、料金が掛かるらしい。
キッチンには無料で使用出来る冷蔵庫、湯沸かし、トースタ、
電子レンジ等が完備されていた。
男子部屋は3段ベッド×2の6人部屋であるが、今日は貸切りであった。
ゲストハウスでの独りぼっちは5回目であり、いつも寂しい思いをしている。
有𠮷海岸  47年前の1972年4月にキャンプ&素潜りダイビングした思い出の地を訪ねる。
             リーフの外側にイセエビが居るのを始めて知った海岸である。
”大熊展望台”から出発点の名瀬市街を見る。 ここまでは半分も達していない。良くぞ、歩いた物だ。
当時、キャンプする海岸を求めて県道81号線で山越えをしている。
今回、名瀬市から有𠮷海岸までの距離を計測すると13kmもあった。
キャンプ道具と食料を詰め込んだキスリングを担いで歩いたのだった。
この ”大熊展望台”は昔は無かった。
当時、地元の親父が夜釣りで大きな魚を釣って来た岬はよく覚えている。
思い出の地、昔懐かしい ”有𠮷海岸”着く。
現在は満潮時間なのかリーフは見えていない。
当時は密漁なんて言葉が無く、俺達のイセエビ情報で漁師が網を入れた程だった。
今回、奄美で一番見たかった ”こじきハウス”が無くなっており、新しい海水浴場小屋が建っていた。 ”こじきハウス”は取り壊されてしまったのか。
素潜りとしては黎明期であり、イセエビの採り方はまだ知らず、
今回、この海でイセエビはリーフの外側、しかも夜にしか獲るのが
難しいことを始めて学ぶことが出来た。
1972年4月28日~5月8日の間、モトクロスレース仲間の ”チーム・コジキ”の
奄美大島観光旅行の途中で素潜りダイビングを楽しんだ。
持参のテントは張らず、漁師の許可を得て漁具小屋を借りることにした。頭がおかしな連中に見えるが、立派な22歳のサラリーマンです。
暇潰しにバカなことを始めた。
沖には潮が引き始めてリーフが出て来ている。
ハートロック  早朝の6時45分に海岸まで行ったが、満潮の時間帯であり ”ハートロック”は海水に浸かって見られなかった。
                  昼前の10時40分に訪れると最干潮では無かったが、潮は引き何とか ”ハートロック”を見ることが出来た。
遊歩道の入口は道路沿いに表示があり判り易かった。
駐車場は遊歩道入口の道路を挟んで反対側にある ”ヘルシーアイランドカフェ”
さんが無料で駐車場を開放していた。 早朝は入口ゲートが閉まっている。
Road Map:県道82号線、用安地区に案内板がある。
亜熱帯らしいアダンの林を抜けて行く。
亜熱帯樹林帯を感じさせる遊歩道を海岸に向けて進んで行く。
10時40分に再訪すると、まだ最干潮では無かったが、
足跡を辿って ”ハートロック”に行ってみる。
遊歩道を5分程歩けば砂浜に出るが、1回目の午前6時45分は満潮の時間帯で
あり ”ハートロック”は海水の下に隠れていた。 ”ハートロック”を見るには
干潮時に来る必要があるのを知る。 お昼にリベンジするか!
波をかぶりながらも ”ハートロック”を見ることが出来た。 お姉さんは写真撮影に夢中になっていた。
この斜めからが一番 ”ハート”らしく見えた。
”ハート”の正面からはもう少し高い位置から撮りたかったが、自撮り棒を出すのが邪魔臭く、手を伸ばして撮影した。
蒲生崎  ここは思い出の地でも何でもないが、時間潰しとして寄ってみた。
”蒲生崎”へ行く予定は無かったが、カーナビに出て来たので行ってみた。
駐車場にあった古びた散策地図。
遊歩道入口の立派な門構え。
レンガ張りの立派な遊歩道であったが、樹木が茂り過ぎて
右側の海岸への展望がまったく得られなかった。
展望台にあった色褪せた地図。 実際はもっと広範囲の地図で
あったが、これから行く、笠利崎と用海岸を拡大してみた。
お城の様な展望台が見えて来た。
展望台から見る景色はサンゴの海の感じは無く瀬戸内海を見ている様な感じだった。
島の名前は判らないし、調べたくもない。
これから行く ”笠利崎”方面を見るが、ここからは ”笠利崎灯台”は見えていなかった。
笠利崎、用海岸  47年前にキャンプしながら素潜りダイビングを楽しんだ用海岸を訪ねる。
笠利崎公園から見た ”笠利崎灯台”。 灯台に登る階段道があるのだが、何故か立入禁止となっていた。
今回は運動する気がなく立入禁止を素直に受け入れた。
沖合3.5kmにある ”トンバラ岩” ここは有名なダイビングスポットであるが、潮の流れが速く、昔、ツアーダイバー数名が流される遭難事故があった所だ。
上と同じ地図を参考に載せておく。
笠利崎公園から思い出の ”用海岸”を見る。
車で ”用海岸”へ行ってみる。
展望地となっている ”笠利崎公園”
”用海岸”の砂浜は広く長いので、どこにテントを張ったか記憶はないが、この地点の左側と思われる。
リーフ内に岩が露出しているのは現在の笠利崎公園近くなので、
テントを張った位置は大体特定出来る。
当時はテント布の重たい三角テントしか無かった。
昨夜に採れた ”ウチワエビ”見せびらかす相棒。
サンゴ礁が綺麗と思うのはダイビングを始めて3回程まで。
後は獲物を追っかけたくなる。
手モリで小魚を突くのは不可能に近いと思ったほうがよい。
当時、まだ初心者だったので防水ライトと水中ライトの区別が付いておらず、
防水ライトで潜ったのだが、水深深く潜ると水圧で防水ライトに海水が入って
ショートしてライトが切れてしまった。 沖合のリーフの外でライトが切れた
ので闇夜の中、岸に戻って来るのが大変だった。
防水ライトが切れるまでの間だけでも、そこそこの獲物は採れた。
あくる日には名瀬の町に行き、水中ライトを購入した。
その水中ライトは丈夫であり、今も使い続けている。
47年前、1972年8月13日~19日の用海岸キャンプ。
日中は獲物を採ると言うより涼を取る為に潜っていた。
47年間の写真の保存状態が悪く、酷く劣化していた。
奄美パーク  奄美空港に近い奄美パークでフライトまでの時間を潰す。
駐車場から見た ”奄美の郷”の大きなドーム。
実際は公園を1周では時間が潰れず、公園を3周して海岸へも行っている。
”田中一村記念美術館”のみ入館料\500の有料だったので入館せずだった。
野外ステージから見た ”奄美パーク”の全景。
大きなモニターには常時、観光ガイドが流れていたが、観客はゼロ。
案内ガールも暇そうであった。 これこそ税金の無駄使いだ。
奄美の郷のドーム内には奄美大島~与論島までの観光ガイドがあった。
今日は歩き過ぎて展望台の階段を上りたくないと思っていたが・・・
遊歩道をウロウロと散策する。
展望台からの展望は誉めたものではなかった。
無人エレベータがあり、楽チンに展望台へ上がれた。
”タコの木”
展望台の中にシュノーケルに使い方を説明したものがあった。 子供の頃から当然の様に使っていたシュノーケルに使い方の説明が必要とは!
葉っぱを見ると ”タンポポ”の様に見えたが ”ガーベラ”らしい。
一般的な ”ガザニア”
遠目では ”ハイビスカス”に見えた程、大きな花の ”ツツジ”
これも ”ガザニア”の花色違い。
有𠮷海岸で仲良くなった漁師達。
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