沖縄県八重山諸島

1967年08月01日〜08月17日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』 観光地化される前の川平湾は素晴らしかった。
石垣島、西表島
  石垣島と西表島に滞在出来たのは17日間あったが、アクシデントが色々あり、満足なダイビングが出来たのは 豊原の海岸での2日間だけであった。
沖縄本島に戻り、後半を消化する
  沖縄に戻ってからは沖縄北部の米軍施設に行き、ダイビングを楽しんだ。
後半は沖永良部島でケービングをする
  観光化されていない鍾乳洞に入りたく、沖永良部島に行く。
目的は果たせたが、下手をすると帰らぬ人になるところだった。
今回の移動ルート
  沖縄南部 → 石垣島、西表島 → 沖縄北部 →沖永良部島
石垣島、西表島
石垣島経由、西表島に移動する
  目的は西表島でのダイビング、沖縄、石垣島は経由地であるが、沖縄も石垣島も初めての地であるので、充分、観光もしておく。
  しかし、西表島までは船旅を繰り返してトータル1週間は掛かる秘境の地であり、宿泊施設もないので、訪れる人はほとんど居ないと聞く。
  テント持参でテント泊をメインに考えていたが、結局はテントを一度も張ることがなく、全て、無料で施設を借りることが出来た。
  西表島の売店に食料が売っていないのが堪えたが、パイナップルを無料で頂けたのが、大いに助かった。
Road Map :那覇港から石垣港まで1泊2日の船旅となる。
Route Map:西表島では交通手段がなく、徒歩に頼るのみ。

7月31日、沖縄で1週間以上待たされた石垣島の船に乗ることが出来た。沖縄南部の徒歩旅行は時間潰しであり、いよいよ、これからが本番である。
那覇から石垣島への船便は1泊2日掛かり、8月1日に石垣島に上陸する。西表島行きの船はあくる日なので、石垣港近くの神社に無断宿泊する。
夏休み中なので、どこに行っても近所のガキンチョが集まって来る。
8月2日、いよいよ、西表島に渡ることになったが、素晴らしい船だった。運ぶのは荷物が主で、人が序での様であり、牛まで運ぶことがあるらしい。
ディーゼルエンジンの振動がそのままケツに伝わって来る。
生活密着の船なので船賃は片道¢30と安かった。
船は竹富島を廻り込んで進んで行く。 全域、水深が浅く、所々で海底のサンゴ礁が見えていた。
同船していた、どこかの大学の探検部。 当時、西表島に行くのは大学の探検部くらいしか居なかったらしい。 おいら達は高校の探検部である。
船は黒島近くを通って行く。
大原港に降りると同時に怪しげな親父が寄って来た。 仲間川のクルーズ船に乗らないかの誘いであった。 貸切りで$3だと言う。余りにも高いので$2に値切って乗ることになってしまった。
3時間30分の航海で石表島 大原港に着く。
河口付近は海の様に広い仲間川であるが、上流に行くに従い狭まって行く。
”ヒカゲシダ”等の熱帯風の植物を沢山見ることが出来た。
船頭、兼ガイドにシャッターを頼むと、見事にヘタクソな写真を撮って
くれた。 高い料金を取っているので、もっとしっかりせい!
上陸して散策のOKの指示があったが、大したものは見られなかった。ここから西表島を横断する登山道があるらしいが、
この時は横断を考えていなかった。
潜れる海岸と宿泊地を求めて、豊原集落まで歩く。
夕刻となってしまい、豊原の集落まで行く時間がなくなったので、
大富の集落にある公民館を借りて宿泊することにした。
豊原集落の公民館を区長さんにお願いして無料で2日間、借りることが
出来た。 目の前は素晴らしいダイビングスポットで、食料にする貝類を採ることがことが出来た。 海は素晴らしい透明度で30m以上の深さまではっきりと見ることが出来た。
豊原集落の周辺にはパイナップル畑が広がり 「パイナップルをわけて下さい。」と頼むと無料で貰うことが出来た。 これは貴重な食料になったので、場所を替えて貰うことを繰り返した。
豊原集落から古見集落までは遠かった。 途中でジープに載せて頂く。
2日間、豊原の海で素潜りを楽しんだ後は、
古見集落に移動することにした。
移動途中の大原の集落では、又、子供が集まって来たので相手して遊ぶ。
豊原から古見までの道程は暑くて遠かった。 ジープが通り掛かったので乗せて貰えることになり助かった。 サングラスのレンズが片方外れてしまい使いもものにならなくなった。
忙しく爪を振る ”シオマネキ”
途中、後良川のマングローブ林に寄ってみる。
地面が動いている! と思える程の ”ミナミコメツキガニ”の群れが見られた。
地区の責任者を訪ね、4日間の約束で小学校の教室を借りる。 既に大学の探検部が
教室を借りていたので、食生活の水準が違うだろうと、大学生とは離れた教室とした。
無料で借りられた教室は広くて、2人の寝起きには民宿よりは
過ごし易く感じた。風呂無しと自炊なのが残念であったが、
水道があるので水浴びは出来た。 古見の海岸はマングローブ林であり、豊原の海岸の様なサンゴ礁での潜りを楽しむことが出来なかった。
”問題勃発” 明日、8月8日から西表島の横断を始めるのに際して、
共同売店に食料を買いに行くと、何も売っていなかった。
次の船が来ないと品物は無い。 肉は牛を殺さないと無いと言う。
子供に自転車を借りて、大富の集落まで走るが、大富の共同売店でも
菓子パンしか売っていなかった。 菓子パン2ヶが明日の食料となる。
西表島には北部の ”租納”まで行く道路が無く、船で行くか、登山道で横断するしか無いと教えられる。
西表島の横断道では、道が整備されていないので、道間違いから行方不明者も出ているらしい。
水溜まりを渡った後に違和感を感じて足元を見ると、ヒルに噛まれており、ヒルは真っ赤にパンパンに膨れていた。 相棒は更に酷く、3匹のヒルに噛まれていた。 その後は足元をチェックしながら歩く。
最初、横断道ははっきりしていた。 樹木で日影になっているが、風が通らず、強烈に蒸し暑い。 2mを越えるシダで道が覆われる様になり、
道間違いが増えて来る。
唯一の食料である菓子パンを分け合って昼飯とする。 これ以後は食料無しである。
地元民は1日で横断出来る。と言っていたが、道標も何も無いので現在位置が判らない。
果たして、日暮れまでに横断出来るのであろうか?
岩の上でビバーグしたので、体のあちこちが痛い。
当時、カンピレーの滝とは知らなかったが、カンピレーの滝に出た時には浦内川で道が無くなってしまっい、滝見どころではなかった。
残念ながら、途中で日暮れてしまい、大きな岩の上でビバーグする
ことになってしまった。 何もかもがサバイバルであった。
今は廃村となっている ”稲葉集落”に1件の民家があり、1人のおばあちゃんが住んでいた。 井戸水を飲ませて頂ける様にお願いすると、
おばあちゃんは朝飯を作ってくれた。 おかずに小魚の佃煮があり、それの影響で、その日の夜に蕁麻疹が発症したものと思われる。
夕方に撮った写真では判り難いが、干立には有名なヤシ林を見ることが出来た。 干立の集落は小さかったので、直ぐ隣りの大きな集落である、租納の集落へ移動する。
租納集落では区長さんにお願いして小学校の教室を借りることが出来た。
租納の海岸は砂浜の遠浅であり、潜りの対象になる海岸ではなかった。
古見の海岸で左足の親指を貝殻でケガしていたが、それが横断中に化膿して腫れて歩けなくなってしまった。
遠浅の海岸であったが潜れないことはない。
足の指のケガで自粛しておく。
海岸を目の間にしながら潜ることが出来ない。
租納の集落には病院はなく、小さな診療所があるだけだった。
折角、西表島まで来たのに、今日で西表島を去らねばならない。
おいらのケガのせいで、相棒には申し訳ない気持ちで一杯だ。
診療所の先生は医者かどうか判らないが、腫れた親指をギュウギュウと
押して、膿を出そうとする。 それは強烈に痛かった。 痛み止めと化膿止めの薬を貰って学校まで帰るが、歩けなくなってしまった。
トイレは相棒におぶって貰って行く。 食事は作ってくれた。
平得公民館の管理者にお願いして、しばらく公民館をお借りすることになった。
ここからしばらくは八重山病院へ通院することになった。
先生に言われた通りに石垣市に一件だけある、お風呂屋さんにも行った。
公民館の前は広場になっており、遊具に吊るしてあった
鐘は空の爆弾だった。
2人のキスリングを広げると、相当量の荷物となっている。
公民館内にはネズミとヤモリが走り廻っており、うかつに食べ物を
置いてはおけない。
公民館の直ぐ隣りの管理人である田底家。
おじいちゃんからは三線を聞かせて頂いた。
何度も食事を作って頂き、お世話になった管理人の奥さんと
御近所の稲福さん。 南沙織が歳を取れば 稲福さんの様になるのでは?の沖縄美人だった。
どこに行っても近所の暇なガキンチョが集まって来て暇潰しになる。
田底のおじいさんから蛇味線(三線)をお借りして引く振りだけする。
泳ぐことが出来ないので、バスに乗って八重山一の
風光明媚な川平湾に行く。
夏の石垣島での御馳走は大盛りの ”かき氷”である。
びっこを引きながら歩ける様にはなった。
目が覚めるコバルトブルーの海が広がっていた。 現在、川平湾は観光化されて
グラスボートだらけで、遊泳禁止となっているが、当時は遊泳禁止になっていなかったと思う。
綺麗な川平湾であるが、砂浜なので我々の潜りの対象にはならない海であった。
川平湾では景色を眺めるだけで、何もすることが無く、早々に引き上げる。
この時、後年に後ろに見える山へ山登りに来ることは想像出来なかった。
8月16日に、暇潰しに竹富島に行ってみるが、散策も出来ずに
引き返して来た。 観光名所のどこも見ていない。
石垣港から竹富島に渡る。
相棒は竹富島の星の ”砂海岸”へ泳ぎに行ったので、留守番しておく。
後に有名になる、村落の写真でも撮っておくべきだったと後悔する。
まだ、しっかりとは歩けないので、相棒が行った海岸には行けず。
8月17日、沖縄に戻る日。 子供にパッキングしたキスリングを背負
わしてみた。 20kgを越えるキスリングにふらふらしていた。
8月11日夜
  石垣島に戻って、タクシーに乗って県立八重山病院に行く。 病院の診察時間は9時から11時までの午前中だけであったが、急患を装って診察して貰う。
急遽、手術をしてくれて、5〜6回の麻酔注射を打たれるが、触っただけでの痛い親指への麻酔注射は声が出る程に痛かった。 切開する手術が始まるが、麻酔がまったく利いていない様な痛さであった。
  先生から言われたのは 「お前、臭いから風呂に入っておけ!」の衝撃の言葉だった。
  しかし、先生は石垣市街でお寿司を御馳走してくれて、公民館まで送ってくれた。
  抜糸するまで、しばらく通院することになる。
八重山病院での治療代
  手術後にしばらくは通院が必要と言われたが、名前を聞かれず、診察券も発行されなかった
ので、何かおかしいと思ったが、病院に行く毎に待ち時間無く、最優先で診察してくれた。
  1週間、通院して最終日に支払いに行くと、看護婦さんから ”いらない!と言われた。
もう一度、聞き直すと先生の配慮で無料にしてくれていたのだ。
お寿司まで御馳走になり、無料で治療して頂いた 巻野先生に大感謝である。
  後で気が付いたのであるが、西表島の診療所にも診察料を払っていなかった。(扱いでは無い)