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1967年2月10日〜12日


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Road Map :西宮を出発して紀伊半島を右回りに周回する。
温故知新』 何故、一番寒い2月にツーリングに行こうと思ったのか?
温故知新(2021年12月21作成)
 
振り返ってみて驚くのは何故、高校2年生が自動二輪車の運転免許書を持っているのか? しかも何故、2人共に原付二種のオートバイを持っていたのか?
  運転免許書を取りに行くのに学校を休むのは容認されていおり、中古バイクなら破格値で手に入り、自分で改造、修理が出来る技術を持っていたからである。
  当時、原付二種免許、軽四輪車免許は16歳から受験することが出来た。

帰宅は午前様になる
  熊野市からは道路状態も良くなり観光しながら快適なツーリングが出来る予定であったが、ポンコツバイクに故障が出始めた。 まずはキャブレターにガスが行かなくなる。これはフロートを分解して自力で修理した。 ドライブチェーンが伸びてしまう。 チェーン調整を行うが間に合わず、バイクやでチェーンを短くしてもらう。 諸々の不具合で時間を浪費してしまい、帰宅は24時を越えて午前様になってしまった。 学校は休むことなく頑張って登校した。
紀伊半島厳冬ツーリング
きいはんとうげんとうツーリング
(高校2年生 17歳)
国道42号線(死に号線)で最大の難所は夜中に走った ”矢ノ川峠”の極悪路であった。
1967年2月10日(金)出発
  学校を終えて大急ぎで家に帰り、相棒との待ち合わせ場所である尼崎文化会館に向かう。 おいらの愛車はホンダベンリィCS92 125cc、相棒の愛車はホンダCB160 160ccで走行性能は圧倒的に負けている。
  夕刻の6時に尼崎を出発して大阪の繁華街を抜けて阪奈有料道路に向かう。
急に進路を変えた乗用車との接触転倒事故があったが、積んでいたシュラフに助けられて幸いケガはなかった。(実は足に結構なケガをしていた。)
  阪奈自動車道の長い登りで愛車がオーバーヒートしてしまい、30km/h以上で無くなり、エンジンを冷まし冷ましで走行を続ける。 以後、割愛。
  津市に入ったからは銭湯に入り、学校の廊下を借りて野宿する。
1967年2月11日(土)
  シュラフを3枚重ねて寝たので寒くは無かった。
9時に走り始める。 松阪市に入る頃に雨が降って来たのでカッパを着る。
バイクで雨に合うなんて最悪である。 伊勢神宮、夫婦岩を見学する。
集合場所の尼崎文化会館で出発前の記念撮影をしておく。
寒さ対策として友達から集めたシュラフ3枚を積んでいる。
白黒写真をカラー処理をしているので、本当の色は出ていない。
これは観光記念はがきをスキャンした伊勢志摩 ”夫婦”の写真。
”那智の滝”は無料の範囲で見学する。
”鬼ヶ城”には行ったことがないと思っていたが、
ツーリングの時に観光していたのだった。
レンズが曇っていた様で、綺麗ななカラー化が出来ていない。
相棒のバイクの前輪の空気が減っていたので
エアーポンプを借りて空気を入れる。
結局、相棒のバイクは前輪がパンクしていた。 バイク屋でパンク修理をする。
相棒が疾走するシーンを撮った後、カメラが故障してしまい、その後の写真は
撮れなかった。 写真が無いと言うことは、記憶が残っていないことになる。
酷道42号線 矢ノ川峠
  今回のツーリングで最悪の道が ”矢ノ川峠”越であった。 雨の中、夜にモトクロスをしている感じで、ガードレールの無い道で何度か崖下に落ちそうになる。
ハンドルを抑える手首に力が入り、手首が疲れて来てハンドルの押さえが利かなくなる。 ”矢ノ川峠”を抜けた時には疲れ切ってしまい、雨でシュラフも湿ってしまっているので、野宿の予定だったのを、旅館泊りに変更する。
1967年2月12日(日)
 
旅館に泊まったのでゆっくりとよく眠れた。 旅館から直ぐ近くにあった ”鬼ヶ城”、”獅子巌”を観光し、舗装された快適な酷道42号線を走る。 昨日の酷道とはえらい違いで快適なツーリングが出来た。