兵庫県神戸市北区淡河町

2021年12月17日


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日本のお城』 何も残っていないのが日本の城址である。
淡河城跡(ウィキペディアから抜粋)
  播磨一帯の豪族であった北条時房の孫にあたる淡河時治の城とされる。
淡河氏は南北朝時代の暦応2年(1339年)に石峯寺・三津田で赤松則村
(円心)率いる北朝方と戦い敗れた。 明徳3年(1392年)には淡河範清が養子
として赤松氏より季範を養子として迎え、その後は赤松氏に属した。
  戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主であった天正7年(1579
年)に羽柴秀長の攻撃で落城、有馬則頼が城主となった。慶長6年(1601年)
に則頼は三田城に移り、元和元年(1615年)に廃城となった。
淡河城址
  ネット検索で写真を見ている段階で行く必要はない様に思えたが、再建されたものかは判らないが、櫓が建っているなら行ってみようと後ろ向きな気持ちで行ってみた。
今日の散策
  淡河城址 ⇒ 勝雄不動滝
淡河城址
Road Map :県道38号線と国道20号線が交差する道の駅淡河から見える。
Route Map:駐車は道の駅淡河に停めさせて頂く。

本丸跡と櫓のみ残る
おおうごじょうし
  ”道の駅淡河”から西側の丘の上に見えているのは天守閣ではなく、櫓であるらしい。 どこから見ても倉庫にしか見えない。
”淡河城址”は ”道の駅淡河”から見える所にあるので、非常に判り易い。
”道の駅淡河”の駐車場から見える丘の上に櫓が建っていた。
丘の上、本丸跡地に建つ、黒い装いの櫓。天守閣は無い様だ。
何の変哲もない櫓に比べて城址の大きなお城名板が目立つ。
”道の駅淡河”の裏側から遊歩道が整備されており、
小川を渡れる様に橋が架けられていた。
遊歩道に里山防災林整備の説明板が立ってた。
ジグを切って登る遊歩道から見た ”櫓”。
”櫓”の1階部には窓がまったく無かった。 倉庫の機能しかなかったのか?
本丸址に上がり”櫓”を裏側から見る。
本丸址は畑と栗林になっていた。
”櫓”の横から見た ”道の駅淡河”方向。
本丸址の後ろ側は児童公園となっており、その一郭に石碑が立っていた。