兵庫県たつの市龍野町上霞城

2021年11月18日


日本のお城に戻る
日本のお城』 16年前に鶏頂山、龍野古城に登っているいるのに、すっかり記憶がなくなっていた。
龍野城跡(HYOGo!ナビのHPから)
  たつの市街地を見下ろす鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城との二期に分かれ、山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、天正5年豊臣秀吉に明け渡されました。 江戸時代に平山に移された城は寛文12年に信州飯田から移って来た脇坂安政が再建した。 本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門などが復元されている。
龍野古城(西播磨の山城のHPから)
  15世紀の終わりごろに播磨を支配していた赤松一族の赤松村秀に
より、鶏籠山の山上部に築城されたとされる連郭式山城(中世)。
鶏籠山の山上部に本丸、南の尾根先に二ノ丸を配した連郭式。
本丸の周りには石垣が残り、北東には城山八幡宮があった。 南に曲輪が連なって二ノ丸・三ノ丸へ至り、南端の帯曲輪には土塁が巡っている。 これらの遺構は、赤松氏の頃のものか、織豊期のものか諸説ある。
龍野城跡、龍野古城跡
  歴史を知らない者にとって城跡巡りは面白さに欠ける喜来がある。
今更、日本史を勉強しても頭に入らないので、表面上、お城巡りをして来ました!で終わることが続くであろう。
  この後、紅葉の名勝地である ”東山公園”を散策に行く。
龍野城跡
  龍野城跡、鶏籠山を含む龍野古城には行ったことが無いと思っていたが、今回のHP発行に際して調べて見ると 2005年12月25に新龍アルプス縦走時の下山路として鶏籠山を通って龍野城跡に下山していたのであった。 その当時、標高218mの鶏籠山をまったく相手にして居らず、1枚の写真も撮っていなかった。
たつのじょうせき
Road Map :姫路バイパスを福田ICで下りてR179を北上し、
           揖保川に架かる龍の橋を越えてたつの市街に入る。
Route Map:龍野城に隣接する文化資料館の無料駐車場に車を停める。

龍野古城跡
たつの市街の北側にある ”龍野城”或いは ”歴史文化資料館”を目指す。
駐車場に向かう市道から ”隅櫓”を見る。
天守閣を再建されていない龍野城では、この”隅櫓”が一番見応えがある。
厳めしい門には ”龍野小学校水練場”の表札が掛かっていた。
江戸期には御番所の池があったらしい。 今はプールがある?
少し離れた位置から ”隅櫓”と石垣を見る。
”龍野城”の再建された ”埋門”。
”歴史文化資料館”の無料駐車場へはここを右に曲がる。
左手の ”埋門”からの坂道を上ると、
”歴史文化資料館”の車20台程の無料駐車場に車を停める。
たつの市立 ”歴史文化資料館”の入館料は200円と安かったが、
歴史には興味が薄いので、今回の入館は見送る。
”埋門”内側の階段を上がり ”本丸跡”に向かう。
そう広くない ”本丸跡”にはよく手入れされた松が植えられていた。
勉強不足で背景がまったく判らないが、これが ”本丸御殿”らしい。
無料で内部を見学出来るらしいが、邪魔臭いので入館はしなかった。
側面から見た ”本丸御殿”は二棟続きとなっていた。
本丸跡の庭園からは、西に ”的場山”、北に ”鶏籠山”が望めた。
本丸跡側から見た ”隅櫓”には中に入れなかった。
城郭内から見る ”隅櫓”は貧相であった。
”隅櫓”近くに古城への登り口の道標が立っていた。
龍野城本丸跡から鶏籠山 ”古城跡”に登る。
登山道に入ると劣化して読み難い説明板が立っていた。
”鶏籠山”への登り口に2重の鹿避けネットが張られていた。
16年前に的場山からここに下山して来た記憶はまったく残っていない。
樹林が濃くて展望の得られない登山道が続く。
山城跡への道としては緩やかな登りで始まる。
斜面がきつくなると、トラバースした登山道となる。
植生は広葉樹林帯なので雰囲気は良かった。
案内板が無いのではっきりしないが、明らかに ”曲輪跡”だと判る広場が所々に出て来る。
一際広い ”曲輪跡”には ”二の丸跡”の表示が立っていた。
”二の丸跡”からは展望が得られたが、たつのの街並みは見えなかった。
”曲輪跡”に貧相な石垣が見られた。
”二の丸跡”から緩やかに登り続けて行く。
小さな ”曲輪跡”に ”矢竹”とだけ書かれた立て札が倒れていた。
ここの ”曲輪跡”の名称なのか、意味が判らなかった。
この高台が ”本丸跡”となる。
登山口から29分にて ”本丸跡”、”鶏籠山”標高218mに着く。
目視では ”二の丸跡”の方が広いのではの感じであった。
”本丸跡”には立派な案内板が立っていたが、
劣化が激しく、文字が読み難い状態であった。
”龍野古城”の石碑。
この地図は樹林が茂った現状とは合い難かった。
この地図は登って来た感じと対比出来た。
”八幡宮跡”には石の欠片が少し残っているだけであった。
”本丸跡”の東側に伸びていた ”石だたみ道”。
この先に ”八幡宮跡”があり、これは参道の様であった。
”竪窟の跡”と表示されいるが、
今は土砂の堆積でほとんど埋もれてしまっていた。
鶏籠山(本丸跡)の東西両側は急峻が崖となっており、
これが城郭の守りとなっていた様だ。
ヤセ尾根の登山道はハイキングに相応しい良い雰囲気の道だった。
北側の ”両見坂峠”に向けて尾根筋を下山して行く。
殆どの場所から ”的場山”が見えていたが、
樹木に遮られ全容が見える場所は少なかった。
”両見坂峠”まで下ると、3名と4名の別々のマダムグループが休憩していた。
2つのグループから質問攻めに合うが、2つのグループは自分が何処に居るのか
判っていない様であった。 それぞれのグループに ”鶏籠山”までの道を説明すると
3名のグループは引き返すと言ってくれたが、4名のグループは登ると言い出した。
この ”両見坂燈篭”はどこかで見た薄っすらとした記憶がある。
16年前に ”的場山”からここに下山して来ている
はずであるが、風景を見ても何も思い出さなかった。
樹林が濃い感じはするが、左手には沢が流れ感じの良い道であった。
”両見坂”からの峠道は舗装されており、
自転車で充分走れそうな綺麗な道が続いていた。
陽に照らされた紅葉に目が行ってしまう。
”もみじ山”では無いが、所々で綺麗な紅葉を見ることが出来た。
”両見坂入口”の広葉樹。
市道との出会い、”両見坂”への入口に着く。
車止めはされていなかった様な・・・
どこに何があるのか? 予備知識がまったく無い中で、
道標に従って少し周辺を散策してみる。
たつの市の名勝地を少し散策する。
ここまでは車で上れる様であった。
神社には興味が無いが、道標に従って ”龍野神社”に行ってみる。
急で長い階段が迎えてくれた。
綺麗な造りであるが、別段、りっぱとも言えない ”龍野神社”
”龍野神社”に隣接して ”御涼所”なるものがあったが、何物かが判らなかった。
広い日本庭園にお洒落な ”茶室?”が建っていた。
入園は無慮なので多くの家族連れが来ていた。
このお洒落な建屋が ”御涼所”なのか? 池にはコイが沢山泳いでいた。
モミジに隠れているが、同じ様な建屋が他にもあった。
”御涼所”の庭から先程まで歩いていた ”鶏籠山”を見る。
”御涼所”の庭園からは たつのの市街が展望出来たが、生憎の逆光となってしまった。
”御涼所”とは何ぞや!