兵庫県猪名川町銀山

2021年04月20


日本の鍾乳洞に戻る

Road Map :新名神高速道を川西ICで下りて、県道12号線で ”悠久の館”に向かう。
Route Map:多田銀銅山の遺構を全て巡る。
日本の鍾乳洞』 楽しみにしていた ”青木間歩”は散策出来る距離が57m程しかなく、短過ぎてがっかりであった。
国史跡・多田銀銅山遺跡(兵庫県公式観光サイトのHPから)
  猪名川町をはじめ4市3町にまたがる南北約10km、東西約12kmの広大な鉱山、多田銀銅山をご存知でしょうか? 1973年に閉山となり、千年に渡る銀銅山としての歴史に幕を閉じた多田銀銅山遺跡は、2015年に国の史跡に指定されました。
  猪名川町には、多田銀銅山遺跡の魅力を楽しめるポイントが揃っています。
多田銀銅山の歴史は古く、奈良時代に東大寺の大仏を建立する際にも使われたと伝えられています。 実は、多田銀銅山は豊臣秀吉の埋蔵金伝説の地としても知られているんです。秀吉が晩年、子どもの将来を案じて四億五千両、金塊にすると3万貫(112.5t)を埋めさせたという言い伝えが残っているのです。 度重なる探索を経ても一欠けの金も発見されていませんが、歴史と浪漫は感じます。
多田銀銅山
  多田銀銅山のことは豊臣秀吉の埋蔵金の話しで昔から知ってはいたが、訪れるのは今回が初めてだ。 入坑出来る ”青木間歩”でさえも鍾乳洞と違い何のインパクとも無かったので、入坑出来ない他の ”間歩”も何の面白さもなかった。 興味を持って歴史を勉強すれば、面白さも出て来るのかも知れないが、今更の感じである。
多田銀銅山
  多田銀銅山へは半年前に行く事を計画していたが、唯一、入坑出来る ”青木間歩”が、工事中、入坑禁止となっており、それが解除されたのが今年の4月1日であったが、その入坑が可能になったニュースはメールで問い合わせるまで猪名川町のHPに発表されていなかった。 猪名川町役場の職務怠慢であった。
ただぎんどうざん
青木間歩
”悠久の館”の向いに広い駐車場が出来ていた。
少し高台が ”悠久広場”の公園となっており、”堀家精錬所跡”が残っていた。
”悠久広場”の一郭が駐車場となっていた。
これが6基残っている ”堀家精錬所跡” 解説板があったが読んでいない。
”悠久の館”の内部を見学するのは、散策を終えてからとする。
”悠久広場”から見下ろした位置にある資料館の ”悠久の館”
以前は ”悠久の館”の4〜5台分の駐車場しかなかったらしい。
”悠久の館”の横に立っていた 銀山史跡の散策地図。 右側が北方向となっていた。
”金山彦神社”への分岐があったが、神社には復路にお参りすることにする。
道路沿いには繁栄時の面影か、古い大きな屋敷が建ち並んでいた。
遊歩道を少し歩くと ”青木間歩”の入口に着いた。
沢の左岸側が遊歩道になっていたので、対岸に渡り遊歩道を歩く。
入口にはヘルメットも用意されていたが、頭を打たないぎりぎりの高さであった。床は簡易舗装されており、照明も充分であった。
”青木間歩”の入口に立っていた解説板。
見学出来る坑道は全長57mしかないことを、この時に知った。
鍾乳洞とは違い、坑内には何の見所も無く、この先で終わってしまう。
一部は落石で埋まってしまい、通れる状態ではなかった。
がっかりの気持ちで入口に戻る。
ここに入りたいが為に入坑出来るまで半年待ったのがバカみたいだ。
行き止りの壁が手掘りの跡だろうか?
終点まで解説板は何もなく、見学無料なのが納得出来て引き返す。
良く整備された階段道を上って行く。
”青木間歩”の上部にある ”露頭掘の跡”を見に行く。
鉱脈に沿って露天掘りされた跡を見る。
解説板が無ければただの岩の割れである。
露天掘りの反対側の斜面を見ると、所々に掘られた穴が見られた。
道路に戻って上流側に進んで行くと、”水抜痛風穴跡”の標識があった。
標識の示す先を見ると、小さな穴がぽっかりと開いていた。
簡易地図で左に曲がる。を記憶していたので、
何も考えずに左に曲がってしまった。
標識が出て来ないのでおかしいとは思ったが、
広い林道なのでどんどん進んでしまった。
林道跡は無くなり、踏み跡も無くなってしまったので、道間違いに気付く。
薮の奥から人の話し声が聞こえたので、すこし待ってみたが、誰も下りて来なかった。
工場が建ち並ぶ、ここを左に曲がるのが正解だった。
道路に戻り、更に進んで行くと標識のある分岐となった。
この分岐を右へ進む。
車でも走れる地道の林道となる。 2台のレンタルアシスト自転車は
”青木間歩”の入口で出会った母娘のもので、ここに自転車を置いて
歩かれている様だ。 林道途中で再び出会って少し話しする。
この手前に雑木が茂った広い個所があり、そこが ”事務所跡”の様で
あったが遺構は何も残っていなかった。
過去にも鉱山跡を見ているが、ここの鉱山は遺構が少な過ぎる感じがする。
”大露頭”に登るのは復路にすることにして、先を急ぐ。
歴史、背景ではなく、個人の所有地なのが強調されていた。
”台所間歩”の入口に着く。
這いつくばれば、人一人は通れるかも知れないが、
入口がガッチリと封鎖されていた。
広案内板には入口から7m付近で崩落と書かれていたが、
入口直ぐから崩落で埋まっていた。
矢印方向の対岸を見るが、遠目では何の遺構も無い様に見えた。
更に林道を進んで行くと、”久徳寺跡”の表示が出て来た。
猪名川町の重要な観光資源なのだろう、
各間歩には丁寧な解説板が設置してあった。
”豊臣秀吉”が馬上のまま坑内に入った。”
が本当の話しなら、坑道は3m以上の高さがあったのか?
間歩入口も鉄筋で封鎖されていたが、鉄筋の格子から写真を撮ることが出来た。
がっちりとゲートされているが、左の隙間から入ることが出来た。
馬に乗って入れる高さは無かったが、大人が充分歩ける高さがあった。
バカチョンカメラのストロボでは、これが撮影の限界であった。
”瓢箪間歩”から先の林道は行止まりらしいが、念の為に行って見ると
牛舎が廃屋となり、道としては行止まりだった。
”大露頭”に戻り、林道を歩いて ”大露頭”の
てっぺんに登ってみるが、特に何も無かった。
”間歩”見学を終えて道路を歩いて戻る。
道路から ”青木間歩”の入口を見る。
積み残していた ”金山彦神社”に寄ってみる。
これは ”割拝殿”の建屋で、間を抜けると ”本殿”がある。
これが ”金山彦神社”の ”本殿”となる。