1975年〜

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エンジン開発履歴』 ファクトリーエンジンの開発に携えるとは夢の様だった。
入社6年後、ロード、モトクロスのファクトリー車開発部門に配属される。
  これまでの5年間は小型エンジン技術部でスノーモービル用エンジン、ジェットスキー用
エンジンの開発に携わって来たが、それらの開発業務が縮小となり、二輪車開発部門への移動が命じられた。 レース車開発部門は5年前に転籍を希望していた職場で、自分は忘れていたが、上司がその転籍希望をしっかりと覚えていてくれてレース開発部門への転籍となった。
モトクロスレース車開発部門の所属となる。
  工具箱を持って四件ビル(当時のレース車開発部門)に転籍の挨拶に行くと、最初に出会った人がモトクロス関係の係長だったので、そのままモトクロス開発の所属になってしまった。後にロードレースの係長と話しをすると、ロードレースでも人員が必要だったらしい。
  ファクトリーエンジンの開発ならモトクロス、ロードのどちらでも良い思いがあった。
初仕事はKX125のファクトリーエンジン開発であった。
  これまでスノーモービル、ジェットスキーの2stエンジンの開発に携わって来たので、
エンジン本体のことは判るが、クラッチ、T/Mギヤ、チェンジ機構の設計はしたことがない。趣味でモトクロスごっこをしていたので、それらの構造、機能は知っていたので、一から勉強することは無かった。 しかし、チェンジドラムの作図には梃子摺った。
全日本モトクロス選手権レースが出張旅費付で観戦出来る。
  これまではモトクロスレースを観戦するにはモトクロスコースまでの交通費と入場料を払って観戦したものであるが、モトクロスレースチームに所属するとレース観戦は仕事の一端となり、交通費も入場券も会社持ちとなり、おまけに出張旅費も頂ける美味しい仕事であった。
米国ではエンデューロレースがブームになっていた。
  米国ではモトクロスレースが頂点を迎えており、各メーカーのし烈な戦いが続いていた。
その中で、比較的に大人しいライダー間でエンデューロレースがブームになっており、カワサキもモトクロス車に公道走行が可能な様に簡単な保安備品を付けたエンデュ―ロ車を販売しており、量産車の仕事もこなすことになる。
ファクトリー参戦しているKX125エンジン開発は楽しい仕事だった。
 
会社としては全日本モトクロスチャンピオン、全米モトクロスチャンピオンを獲って欲しい仕事であり、予算はケチられることは無かった。
  当時、会社の近くで全日本選手権が行われ、普段からテストコースに使っていたコースなので、カワサキ従業員の観戦も多く、ライダーはコースを熟知しているので、全クラスでカワサキのライダーが入賞、優勝をした。
  地の利があったコースであるが、コースまでの道路が狭く大型トラックが通行出来ない理由で、ここでの全日本選手権は行われなくなってしまった。
KX125エンジンの開発を通じて
  モトクロス部門の人材は潤沢に居る訳ではなく、KX125エンジンの開発をやりながら、エンデュロー車のエンジン、KX250エンジンの開発も平行して進めた。
  当時、残業時間の規制は無く、好きな時間だけ働くことが出来た。
KX125SR_エンジンの開発


モトクロスレース用ファクトリー車
  1975年、モトクロスレースGrに就任した時の
”KX125SR”の状態は左写真の様であった。
当時、主流であったダウンマフラーはマディコース
を1周するとペチャンコになってしまうので、その後は設計者泣かせのアップマフラーに変更となった。
  全日本モトクロス選手権は、これまで山本隆選手、
星野一義選手が大活躍をしていたが、1976年に竹沢正治選手が250ccクラスでチャンピオンを取るまで苦戦が続いていた。
  2stエンジンの技術開発が続き、2stエンジンの性能が革新的に向上して行く。
写真は ”KX250”だと思うが、”KX125”とは類似形状である。
”KX125”モトクロッサーの最終形。
以後、レースレギュレーションにより 4st250ccに変更される。
  2stエンジンの躍進的な進化が続く。
細かなエンジンチューニングとは別に大きな改善改良が続き、年々、エンジン性能、エンジン特性が改良されて、スペック的にも各社横並びとなり、レースと共に技術パテント競争となる。
  躍進的なE/G構造の変更としては・・・
吸気系:ピストンバルブ→ロータリバルブ→
        吸気リードバルブ
排気系:排気タイミング可変バルブの追加。
冷却系:空冷エンジン→水冷エンジン。
点火系:ポイント点火→マイコン点火制御
  躍進的なF/M構造の変更としては・・・

Rrサス:2本サス→アグレッシブルモノサス
F/M構造:各社様々なF/Mを取り、材質が鉄からアルミに
           変わり軽量化される。
  2stエンジン排除の時代が来る。
モータースポーツ界にも排ガス対策の波がやって来て、レースレギュレーションの変更により、モトクロス用エンジンも4stエンジン化が始まる。
2stエンジンと4stエンジンで同排気量なら出力、エンジン重量から4stエンジンでは排気量アップが認めれることになる。
              2stエンジン 4stエンジン
IBオープン:125ccまで  250ccまで
レディース  :85ccまで  150ccまで
ナショナル  :250ccまで 450ccまで
排気量でハンディを与えることで、2st、4stが同等に戦えると判断した様である。
   
会社としては排ガス対応に準じる為に2stエンジンの開発を終えることになる。
日本、アメリカ、ヨーロッパに共に4stエンジンモトクロス車の排気量変更を認めることになり、モトクロス車の4stが促進されることになる。
レディースのレースでは4ストモトクロス車を販売しているのがH社のみで、他社は4stエンジン車はコストが高い、エンジンメンテナンスが大変との理由で、2stエンジンのままで販売している。
レディースレースを見ても大半が2stエンジン車で出場しているが、上位を占めているのは4stエンジン車が多い感じがする。 これはエンジンの差と言うよりライダーの腕の差だと思う。
2stエンジン性能向上の歴史。
吸気リードバルブの初期は薄板ステンレス
板であったが、ステンレス板は高回転域で
共振してしまうので、エポキシ樹脂板が
開発され、その後は強度があり薄板が可能
なカーボン樹脂板で落ち着いた。
樹脂板の真ん中をくり貫いて、更に小さな
板を重ねた二段リードバルブも開発されて
いる。
”吸気リードバルブ”
吸気の吸込み力でリードバルブの開閉を自動で行う。吸気の吹き返しが殆ど無くなるが、吸気抵抗は若干増える。
”吸気ロータリーバルブ”
吸気ポートの開閉をロータリーバルブにて行う。吸気の吹き返しを抑えることが出来るが、以前、吸気の吹き返しは発生する。
”吸気ピストンバルブ”
ピストンスカートの下端で吸気ポートの開閉が行われ、ピストン下降時に吸気の吹き返しが発生する。
排ガスの関係で世の中から2stエンジンが淘汰され、若者にはどうして動いているのか
知らない者が増えて来た。 もう知る必要も無い化石エンジンとなってしまったか?
2stエンジン嫌いの(故)”ポップ吉村氏”は 2stエンジンは「口から糞をするエンジン」と
言っており、飛行機に2stエンジンが採用されないのは信頼性の無い証拠。とも言っていた。
市販車のスポーツモデルである ”KH125”には
吸気にロータリーバルブが採用されていた。
カバーの中にはキャブレターが収まっている。
ピストンバルブからロータリーバルブになり、ピーク性能は大きく変わらないが、低中速性能は大きく向上した。
ロータリーバルブでも各社様々な方式、構造が考えられた。
ステンレスの薄板で出来たロータリーバルブ。 切欠きの角度で吸気の開閉を変更することが出来る。
ロータリーバルブカバー
吸気リードバルブの取付位置としては様々な場所が考えられるが、
シリンダ、又はクランクケースに取付けるのが一般的となる。
図解の吸気流れは間違いで、実際にはピストンスカートに向けて吸気は流れる。
吸気リードバルブが2stエンジンの最終形となる。
様々な排気系の制御方法が開発されエンジン性能は革新的に向上した。
  様々な性能向上技術が同時進行しており、排気系のデバイスが性能向上ではないが、吸気リードバルトと共に排気系の制御がエンジン性能を飛躍的に高めた。
  排気系の制御は昔からあった技術であり、多くは排気チャンバーの長さ変更、容量変更、共鳴ボックス追加等であったので実用性に乏しく、その中で生き残って来たのが、シリンダの排気通路拡大、排気タイミングの可変であった。
  各社が各様の排気制御方法を考案し、パテントの出願ラッシュとなった。 他社のパテントチェックだけでも相当な仕事量となり、異議申し立てを提出することも多々あった。
初期のKX125、KDX175に採用された排気ポートの制御方法。 主排気ポートの両側に副排気ポートを儲け、それをガバナーで開閉するものであった。 同時にレゾネータ室への通路も開閉するので、性能向上には効果があった。
しかし、長く使うと排気ガスのカーボンでバルブが固着し、度々のカーボン掃除が必要であった。
各社、排気系の制御は排気ポートの開閉タイミングを制御する方法に落ち着く。
ギロチンバルブと称された板バルブで排気タイミングを変更する方法は低中速の性能向上が図れ、圧縮比の可変にも繋がっている。 れ
低回転時に圧縮比が何故上がるのかは、2stエンジンには見掛け圧縮比と実圧縮比があり、排気バルブで変更されるのは実圧縮比である。
2stエンジンの排気チャンバーを発明したのは誰?
”エキスパンションチャンバー”の秘密?
  2stエンジンの性能向上の仕事に従事して行く上で、一番理解しておく必要があるのが ”EXチャンバー”の機能だと思う。
  4stエンジンの排気管では8°程広がり角度で速やかに排ガスを出すのが一般的であった時代に誰がマフラーの後端を絞ると馬力が出ると思い付いたのだろう。 パテント出願も無いので、マフラーが壊れて出力が上がる自然発生的に推移したのだろうか?
全ての2stエンジンは大小あるがEXチャンバーの構造を取っているので、パテントを取っておれば大金持ちになれたのでは?
  近年、4stエンジンの多くの部分がパソコンで計算出来るが、2stエンジンのEXチャンバーはパソコンでは計算されずにベンチマンの経験とセンスに頼っている。
  2stエンジンの排気マフラーはエキスパンションチャンバーと呼ばれている中太り形状をしており、出口のテールパイプが一番絞られている。 各部の直径、テーパー角で性能は大きく変わる。
エンジンの水冷化
各機種、エンジンの水冷化の波がやってくる。
  モトクロスレースでは出力を使っている割には車速が遅く、エンジンへの冷却が不足し、低排気量車程、エンジン冷却が不足し、レース後半には熱ダレによる出力不足となってしまう。
  1978年(だったと思う)の全日本MX選手権にY車が水冷化された
YZ125のファクトリー車を持ち込み、レースの後半では熱ダレしないY車が圧倒的な速さで優勝してしまう。
  各社、慌ててモトクロス車の水冷化を進め、翌年には各車のファクトリー車は挙って水冷化されたファクトリー車となる。
  カワサキとしては仕事では無いが個人の趣味として会社から予算を貰って、空冷のKX125をベースにロードレーサーのKR125を試作していたので、間に合わせで逆にロードレース用エンジンをモトクロス車に転用する。
  問題はラジエータの車体への取付位置であり、一番冷えるフロントゼッケン裏にラジエータを取付けると、操安性が悪いとの評価になってしまった。 同業他社もラジエータの取付位置には苦労している様で、レース毎にラジエーターの取付位置が変わっていた。
KR125ロードレーサーの基になった空冷KX125
エンジン。 水冷KX125SRも同じエンジンベースとなる。
小さなラジエータで済むようにシリンダ、ヘッドには冷却フィンをそのまま残したので、見た目は空冷エンジンに見えた。
空冷エンジンから変更部品を最小限に留
める為にW/Pはクラッチカバーに取付
けることにした。 W/Pの駆動はネジ
歯車としたが、耐久性に難があった。