モトクロス用空冷KX125エンジンを水冷化してロードレース用に改造する。
試作開発の経緯は鮮明?に覚えているが、記録、写真が一切残っていない。
同じ建屋にロードレース開発部とモトクロスレース開発技術部があり、量産車開発部門からは隔離されていた。 ロードレースGrの一担当者(レースライダーと共にバイクメーカーを転籍している平松絹男氏)からTTF−3用125ccのエンジンを作って欲しいとの依頼があった。
内容を聞くと会社の業務では無く、個人的に岡山の岩道博ライダーを載せて全日本ロードレースを戦いたいと言う。 費用は個人的に出すと言うが、全日本で戦えるエンジンを試作するには数百万円は必要になる。
個人の趣味でこれだけのお金が出せるのか?
上長に開発の開発の許可を条件付きで得ることが出来た。
これだけ大仕事を会社に内緒で進める訳には行かず、上長に相談して先行開発としての許可を貰う。正し、正常業務では無く、正常設計業務を7時に終えて、7時から10時までの無給残業で作図を進める。 社内の試作工場で試作を進めるが百万円の鋳造型費は出して貰えることになった。
試作エンジンはスズカロードレース第一戦に間に合わず、仮のエンジンを試作する。
スズカで勝つためには空冷KX125エンジンの水冷化が必須と思われたので、水冷ジャケットを設けたシリンダ、ヘッドを試作していたが、部品の完成が第一戦に間に合わないことが判り、急遽、空冷のシリンダ、ヘッドのフィンを削り落し、アルミ板金を溶接してジャケットを作り、水冷化を図った。
スズカサーキットでこれが月刊オートバイ誌にスクープされ、その見た目から ”ぶんぶく茶釜”と揶揄されたので、カワサキファクトリーの名は出せなかった。
オートバイ誌の写真を見たことがあるが、改めて写真を探すが、見付からなかった。
スズカ全日本ロードレースで岩道博ライダーにより3位入賞を果たす。
約束通り、空冷モトクロス用KX125エンジンの水冷化を果たせたが、その後、このエンジンがどう展開されたのか、覚えて居ないし、本業のモトクロスエンジン開発に戻っており、このロードレース用エンジンの試作が後のモトクロスエンジンの水冷化の役にたった。
試作から48年後に回顧録を書くのは無理がある。
水冷125ccのエンジン開発は結果として当時、空冷であったモトクロス用エンジンの先行テストとして大いに役に立った。 後年、この開発を回顧録にまとめるとかは夢にも思っていないし、技術部には守秘義務があるので、カメラの持ち込みは御法度である。
オートバイ誌に載っていた ”ぶんぶく茶釜”のエンジンの写真を見付けたかったが、
余りにも古い写真なのでネットからは削除されている様であった。
車体設計の相棒がこれを見ていれば、写真提供があるかも知れないが、現在、音信不通である。
KR125SR ロードレース用エンジン開発
同僚に勧誘されて趣味で試作する
岩道博ライダーとは面識がまったく無いが、1974年には
エキスパート・ジュニアの年間チャンピオンに輝いている。
1970年スズカ全日本ロードレース選手権にで3位入賞。
当時、写真を撮っていなかったのでネットから探して来ました。
これも数少ない写真をネットから探して来たが、ゼッケン番号が代わっているので、どこでのレースかは不明である。
これはカワサキミュージアムに展示されていた ”KR250SR”。
試作した ”KR125SR”はこれと相似形である。
KR125SR試作エンジン計画図
空冷エンジンでW/Pを駆動するのにネジ歯車を採用した。
空冷のKX125エンジンを水冷化したものであるが、ラジエターの
小型化を図る為にシリンダ、ヘッドに冷却フィンを残している。
6速のT/Mギヤ比はオールニューとしたが、それ以外はKXの
オリジナルのままである。
ロードレース用125cc水冷エンジン製作のベースとした
KX125空冷エンジン。
KR125SR
K:Kasaki
R:Road race
125:排気量
S:Super
R:Racing