兵庫県姫路市家島町宮

1990年08月25日〜26日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』  念願だった ”加島”での自足自給キャンプをする。
当時の業者の友達と・・・
  ”加島”なら飲料水さえあれば数日間は暮らせる自信があり、実践したいと思っている時に、友達2人が賛同してくれて、”加島”キャンプとなった。 1人は、大阪から、もう1人は静岡からの参加であり、この2人と子供たちを飢えさせて帰らせる訳には行かないので、食料調達掛かりとしては責任重大ではあった。 しかし、”加島”は勝手知ったる庭みたいなもので、全てのリクエストに応えることが出来た。
子供達の遭難事件
  あくる日、退屈して来た子供達が、島内を1周したいと、出掛けて行ったが、何十分待っても帰って来ない。 心配になって探しに行くと、北側の崖っぷちで動けなくなり、張り付いていた。 無事、救助出来てやれやれだった。
加島キャンプ
Road Map :岩見漁港から海上タクシーで加島まで渡船してもらう。
Route Map:上陸地点にテントを張る。

いつもの上陸地点にテントを張ってキャンプをする。
  一度はやってみたかった無人島での自給自足キャンプに友人家族が参加してくれることになった。 おいらは水とビール以外は持ち込まない計画であったが、友達からお米は食べたいとのリクエストで、お米だけは持って行くことになった。
  退屈し始め子供達が島1周に行きたいと言い出し、許可したが、何時間経っても帰って来ない。 慌てて探しに行くと、島の北側は歩いて行けない崖っぷちで子供たちはそこに張り付いていた。 遭難することなくやれやれであった。
家島諸島
”上島”上陸後は簡易テントとタープを張る。
今回、無人島キャンプに参加してくれたのは仕事で付合いがあるメーカーの方2名と、3名の子供達。 おいらの息子は12歳であるが、素潜りは充分に教え込んである。
”加島”瀬戸内海の島なので、潮の流れによっては海水が汚いことが
あるが、運良く、今日は透明度の高い海水であった。
商談ではいつも遊びの話しばかりしているグラスウールメーカーの
社長さんは酒無しでは生きて生きた行けない様で、今回は一升瓶を持ち
込んで来た。
息子は早速、ギリギリ食料になりそうな ”ベラ”を突いて来た。
この海には何度も来ているので、海底の状態までも
把握している。 獲物が採れないのは考えられない。
”ギンポ”が気持ち悪くて、一騒動。
ごはんを焚いて貰ってお昼休憩をする。
夕食は、豪華な? 海鮮地獄焼きとする。
新鮮な魚貝であることは間違いない。
流木を集めてキャンプファイヤーをする。
最近はテレビ番組で無人島暮らしの番組が多くあるが、それを30年前に実践していた。
焚火は見ているだけで癒される。
誰かが持ち込んだ花火が始まる。
自分で獲って来た小魚を食べるのが楽しい様であった。