岡山県瀬戸内市邑久町虫明
『日本の海岸、湖』 時間潰しで急遽行った島なので、何の目的も持っていなかった。
長島(岡山県) ウィキペディアより抜粋
長島は岡山県瀬戸内市にある島。虫明湾の南東に位置する。北の鴻島や東の大多府島は日生諸島であるが、これらの島と長島の間に旧郡境(現在は市境)があり、長島は日生諸島には該当しない。
本土の丘陵との間には、幅200mm程の「瀬溝の瀬戸」がある。 全島が山地で、南東部などは海食崖となっている。 谷状の島の中央部を境に東西に分かれている。
西部は古生層の砂岩、中心部は花崗岩で、東部はわずかに流紋岩がある。
長島観光
急遽、決めた ”長島”行きであったが ”長島”と言えば、ハンセン病療養所見学がメインになると思うが、それはしたくなかった。 目的であった海岸線歩きは好みの海岸が見付からずに、下調べの無さが悔やまれた。
今日の岡山県の島巡り
楯越山 → 鹿久居島、頭島 → 長島 → 楯越山
長 島(岡山県)
今日は ”長島”に来る予定ではなく ”鹿久居島”と ”頭島”を散策した後は帰る予定であったが、両島での散策はあっけなく終わり、時間が余ってしまったので、橋で渡れる島と言うことで
”長島”に行ってみることにした。 なので ”長島”へは、ハンセン病療養所がある島との予備知識しかなく、きれいな海岸線があるかどうかは、行き当りばったりであった。
ながしま(おかやまけん)
Road Map :岡山ブルーラインを虫明ICで下りて、邑久長島大橋を渡り、長島に入る。
Route Map:前述の通り、適当に散策する。
”長島”は2つの島から成り立っているが、島名は2つ共に ”長島であり、住所も同じである。
大橋を渡り ”長島”に入るが、どこに行って良いのか判らず、適当に車を走らせる。
”長島”に入ってから全長135mの ”邑久長島大橋”を見る。
平凡な橋であるが、過去のハンセン病隔離対策から「人間回復」の橋との別名があるらしい。
看板に番号が振ってあるのは
観光案内用の数字であろうか?
大橋の下の海峡を見るために大橋の中央まで歩いて見る。 写真は大橋から ”長島”を見ている。
邑久長島大橋から南西方向を見る。
同じく邑久長島大橋から北東方向を見る。 正面には ”段島”が見え、沢山の ”かき養殖いかだ”が並んでいた。
海岸に出ると、この看板が立っていた。
貝掘りは当然としても、魚釣りまで禁止とは・・・
広い駐車場があったので、車を止めて海岸まで歩いてみる。 広大な駐車場には
車が沢山止まっていたが、何故にここまで車が多いのか不思議だった。
多島美とまでは行かないが、左側に ”木島”が望めた。
この薮池桟橋は邑久長島大橋が開通する前まで、物資の荷揚げ用に使われていたらしい。
薮池桟橋に荷揚げされた物資を、
丘の上の住居に搬入する為の
トロッコ線だったらしい。
スキーのジャンプ台の様な長大なトロッコレールで
あった。 なにか遊びに再利用出来ないものなのか?
丘の上に何があるのか知らないが、遊歩道?を歩いてみる。
遊歩道を上り途中から、海岸線を見る。 この広場の用途は判らなかった。
詳しくは判らないが、丘の上は住宅地であり、寺院仏閣、記念館、記念碑が
立ち並んでいた。 おいらはこんなのを見に来たのではない。
下の広い駐車場には、ここの住民の車が駐められていたのかもしれない。
展望地を探してみると、先程の ”木島”が見えた。
この建屋には ”こうみょう会館”(光明会館)と表示されており、
元は礼拝堂だったらしい。 このたぐいの建屋が沢山、建っていた。
島内道路を走っていると ”国立療養所 長島愛生園”の石碑の反対側に
林道入口が見えたので、車を停めてみる。
石碑の奥は広い空き地になっていたが、車を停め良いのか判らなかったので、
少しあったスペースに車を停める。
きれいな林道を緩やかに下って行くと、分岐となり、海岸側に進む。
石碑の対面に車止めされた舗装された林道が伸びていた。
ここから海岸に出られるかも知れないと思い、林道を歩いてみる。
目の前の海岸に出られそうな踏み跡を見付けることが出来たが、
昨日の雨で滑りそうな路面だったので、ここは行くのを諦めた。
林道は虚しく、重機の置かれた広場で終点となってしまった。
海岸まではすぐの距離なので、海岸に下りる道を探してみる。
地道の林道はガードレールでクローズされていたが、結構、良い道が続いていた。
舗装された林道を戻る時に、舗装された林道と平行に伸びる地道の林道が
見えてた。 道路まで戻り、この地道の林道に入ってみる。
地道の林道は海岸に近付くにつれ、状態が良くなって来て、タイヤ痕も見られた。
海岸線に出ることが出来て喜んだが、見たことのある景色であった。
先程、林道の別の入り口から車で、ここまで来ていたのであった。
東側の海岸線を見る。 海水浴は出来そうだ。
正面には ”小豆島”が構えていたが、湿度が高く残念な展望であった。
東側の ”長島”に入る。
東側の ”長島”では山越えをして北側の海岸まで行く。 行けるものなら東端の ”楯崎”まで行きたかった。
”愛正会館”にの向かいに浮かぶ ”手影島”には鳥居が見られ、見えていないが神社もありそうだ。
車でウロウロしていると、遊歩道があったので、
どこに行くのか判らないが歩いてみることにした。
山を超えて反対側の海岸に行けるのか?
散策地図には色々と書かれていたが、予備知識がないので、まったくどんな所なのか予測出来なかった。
最高峰でも標高82mの山なので、楽ちん山歩きであった。
意外としっかりした登山道が伸びていた。 獣捕獲罠の残置あり。
訳の判らない ”紀元2600年碑”の大きな石碑が置かれたピークに着く。
展望を得られる様に南側の斜面は大きく伐採されていた。
登山道は通り抜けられる
設定になっていた。
切り開かれた ”紀元2600年碑”からの ”小豆島”への展望。
本道に戻る地点には通行止の看板がぶら下がっていたが、
害獣捕獲用ワナ設置の期間限定のものだった。
本道に降り立つと4叉路の分岐点となっており、
折角だから星ヶ丘の展望台へ行ってみる。
落ち葉が多いが歩き易い道であり、分岐から100mの距離なので簡単に行けそうだ。
テレビ中継用の簡単なアンテナのある開けたピークに出る。 ここが標高82mのピークの様である。
特に今日の見通しでは、実際に見えているものは少ないが、有り難い展望解説写真が置いてあった。 これは参考になった。
この岩が展望を得る一等地であった。 小豆島への展望も少し良くなってきた。
展望岩からの海岸線を見下ろす。 右端に ”手影島”が少し見えていた。
展望岩から見た東方向の島々。 鹿久居島も見えていた。
樹林帯で展望は利かないが、良い道が続く。
4叉路の分岐点に戻り、”相愛の磯”への方向に進む。
下るに従い、登山道は遊歩道の様になって来た。
舗装された道路に出ると、左側直ぐに ”牛舎跡”があった。
この何でも無い ”牛舎跡”には歴史的な背景があり、観光名勝に選ばれていた。
この道を真っ直ぐに進めば ”相愛の磯”に行けるのに、舗装が終わっていたので、
反対方向に進んでしまった。
歴史を知らなければ単なる廃屋なのに・・・
この道標が出てきて、方向違いがはっきりとして引き返す。
舗装された道路は緩やかに上って行くので、おかしいなーとは思っていたのだが。
再び ”牛舎跡”前を通り、地道に入って行く。
”相愛の磯”に出る。 ”相愛の磯”は磯ではなく、砂浜なのに、何故 ”相愛の磯”なのだろうか?
ここは砂浜で海水浴には良さそうな海岸だった。 かき養殖イカダの向こうには多島が連なる。
”相愛の磯”の右側には磯があった。
”相愛の磯”から左側には ”鴻島”の別荘地が見えていた。
遊歩道入口の駐車地に戻り ”相愛の磯”等を終える。
本道を通れば ”紀元2600年碑”への登りはパス出来るので少しは楽出来た。
海岸道路を少し歩いてみる。
立入禁止とはなっていたが、海岸沿いの道路があったので、立ち入ってみる。
”手影島”の東側を見ることが出来た。
この素晴らしい海岸道路が立入禁止なのは勿体ない。 道路はこの先で山の方向に入っていくので、この先で引き返した。
潜って見ないと本当のことは判らないが、この磯は ”アワビ”がいる岩質ではない。
菴羅公園、恩賜記念館
”菴羅公園”からの展望には、先ほど少し歩いた海岸道路が見えていた。
道路筋にあった ”菴羅公園”(あんら・こうえん)に寄ってみる。
”菴羅公園”の横から ”恩賜記念館”(おんし・きねんかん)への
道路が伸びていたので、歩いて上ってみる。
”恩賜記念館”は高台に建っており、車で行くことが出来た。 ここの高台からは ”手影島”が
見えるのみであったが、この崖は、かつては自殺の名勝地だったらしい。
”愛生会館”に戻って来た。
”愛生会館”の場所から、西側の ”長島”を見る。 2つの ”長島”は小さな橋で繋がっているだけだった。