鹿児島県大島郡大和村今里

1975年08月10日〜18日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』  奄美大島に潜りに行く。と言っただけで、職場の同僚がぞろぞろと付いて来た。
3回目の奄美大島
  何をしても楽しい年頃であり、奄美観光も色々していると思うが、例によって記憶と記録が残っていない。 夜の素潜りである程度の獲物を獲っても、扶養家族が居るとなると早々に上がる訳には行かないプレッシャーが大きかった。
7年後に再訪している
  '82年07月に喜界島に潜りに行ったが、何も撮れなかったので、奄美大島に秘密のポイントがあると、今里に来てみたが、同じポイントを潜っても何も獲れなかった。
  この頃から世の中はダイビングブームとなり、スキューバーを付けて獲物を獲るやくざ紛いのやからまで多くなっていた様だ。 素潜りに対しても冷たい目が向けられる様になって来た。
奄美大島職場の遠足
回顧録
  会社の盆休みを利用して奄美大島に素潜りに行く予定を立てていると、
それを聞き付けた職場の同僚が付いて行くと言い出した。 おいらに付いて
行くと ”イセエビ”が食べられるとの噂が立っていたのである。
”イセエビ”が獲れるのかは実力の無い者にとって運だけのものであり、
”イセエビ”が獲れる保証がないので、勝手に付いて来いの話しになった。   総勢、5名で行く事になり、割り勘にするとレンタカーも安いものだ。
  何故、今里の海岸になったのか? 覚えていないが、車で走りながら海岸の景観が良かったからと思う。 民宿が釣り船を持っており、磯へ無料で渡船
してくれたのは、大儲けであった。 毎晩の麻雀では痛い目に合った。
Road Map :名瀬港から県道79号線をひたすら西進し、今里の集落に入る。
Route Map:今里の民宿からは動くことなく、釣りと素潜りを楽しんだ。

最初のダイビングポイントは最北端の笠利崎の少し手前の用海岸とした。
これは 民宿 ”潮どき”に連泊して、お別れの日に御主人と奥さんとで
記念撮影を行ったもの。 何泊したのか、記憶も記録も無くなっている。
2019年04月に奄美大島へ滝巡りに行った時、民宿 ”潮どき”が懐かしくて、今里集落へ行ってみた。 建屋は若干改修されていたが、これで間違いないことは判った。 散歩しているおばあさんに聞いてみると、御主人は亡くなれれ、奥さんは御存命らしいが、どうせ、おいらの事は忘れているだろうと訪ねるのは止めた。
民宿 ”潮どき”の建屋は
これしか撮っていなかった。
1夜目は、海底の様子が判らずに不発に近かったが、扶養家族4名の為に頑張ってみた。
”イセエビ”2匹をゲットしたが、こんなので口うるさい連中を満足させることは出来なかった。まずは一日目の獲物で乾杯!
麻雀は弱いが止められず、連日、負けっぱなしであった。
海で働いた後は麻雀でむしり取られた。
民宿は釣り宿であり、磯渡しもやっていた。 釣りをしたいのなら磯まで無料で渡してやる。
行ってくれたので、喜んで渡船して貰う。
日焼けした手前の人は従業員ではなく、サラリーマンです。
磯渡し用の船なので、難無く、磯に渡ることが出来た。
波が無いのも幸いしている。
この磯は大物 ”クエ”釣りでも有名な磯らしく、この磯で何泊もする釣り師も居るらしい。
さて、ジャコ釣り開始と思ったが、日向ぼっこを始める輩も居た。
ツリキチの1名を除いては、釣りに関してど素人ばかりである。
魚を釣るにはベタ凪ぎ過ぎたか。
エサ取りが多く、頻繁に餌を付ける必要があった。
お昼は民宿で作って貰った大きなおにぎりを頬張る。
ボクちゃんが釣りました。
奄美大島釣り大会、結果発表。 小さ過ぎて、全員失格。
日焼けしない様に海水で冷却しておく。
夙川の天然プールで鍛え上げた飛込みを披露する。
水圧で肋骨が剥き出しになっている。
誰や! ダイバーナイフで格好付けている
奴は。 サメと格闘するつもりか?
わたくし、会社のボディビル部に入っています。
2夜目は、海底の様子にも慣れて来て、ポイントも判る様になり、大漁であった。
5人で食べ切れない程の獲物だったので、隣りのテーブルの3名を招待すると、どこかの社長であり、
ビールとウィスキーを奢ってくれた。 彼らには金を払ってでも食べたい御馳走らしかった。
残すことなく、全て、たいらげてくれたのが嬉しかった。