(高校1年生16歳)
1965年07月24日〜08月16日 24日間

温故知新に戻る

Road Map :関門トンネルを越えた門司から、阿蘇山仙酔峡までの約140km。
Route Map:仙酔峡から阿蘇山展望台までは徒歩で登った。
自転車旅行』  憧れだったやまなみハイウェイは風光明媚な山岳道路であったが、長くきつい登り坂に閉口する。
1965年07月28日〜7月31日 門司〜阿蘇山まで
  相棒のホームシックから門司での別れとなり、九州上陸後は1人でのサイクリングとなってしまった。 目的は九州1周サイクリングであり、1人になった門司からが本格的なサイクリングとなる。 憧れだった やまなみハイウェイ は海岸沿いの別府から阿蘇山の外輪山までの道路であり、自動車には快適な道路であろうが自転車にとっては登りばかりの辛い道だった。
憧れのやまなみハイウェイは辛かった・・・
  昨年、完成したばかりの ”やまなみハイウェイ”を走るのが夢であったが、風光明媚な山岳道路は自動車では快適なドライブが出来るのであろうが、1psの自転車では辛いものがあった。 長い ”やまなみハイウェイ”には腹が減った時には売店、食堂が無く、2回も昼飯を抜くことがあった。 それでも景観の良さには何度も感激している。
九州1周自転車旅行 (その2)
きゅうしゅう1しゅうじてんしゃりょこう
7月28日に九州門司に上陸し、リタイヤした相棒と別れて、まずは別府を目指す。
出来たばかりの憧れの ”やまなみハイウェイ”は阿蘇山に向かっての登りばかりで自転車ではきつかった。
7月29日 6日目、厚狭〜中津 九州上陸後は予定していなかった1人旅になる。
関門トンネルを抜けて九州上陸後に相棒は鉄道で帰る事になった。
2人で分担していたキャンプ道具はおいらが持つことになり、荷物が増えてしまった。
昨日、相棒と別れてからは予定通りに国道10号線を別府に向けて走り出したが、途中で暗くなってしまい
寝床を探しながら走っていると中津市付近の道路脇にバラック建ての小屋があった。 ドアには鍵が掛かって
いなくて布団もあったので、今夜はここで泊まることにした。 ところがである。 夜中に3人の土方が帰っ
て来て、やばいことになったと思い、寝たふりをすると、3人の土方はおいらが寝て居ると思い、静かに
自分らも寝始めた。 外に置いている自転車でサイクリストと判ったのだろう。
写真は早朝の宿泊した飯場の写真。 彼らはまだぐっすり寝て居たので、お礼も言えずに出発した。
7月30日 7日目、中津市〜やまなみハイウェイ途中。
何の興味も無かったが途中で ”宇佐神宮”に立ち寄る。 神社名も合っているかどうか?
境内を歩いていると、歩いているのに
やぶ蚊に一杯刺された。
別府市に入り、定番の ”高崎山自然動物園”に行って行ってみた。
サルは大嫌いで見たくもなかったが、観光の一環として寄ってみた。
これも観光の定番である ”別府地獄めぐり”を行う。
幼少の頃に家族旅行で来ている気がして来た。
”坊主地獄”
”かまど地獄”
大分県別府市と熊本県一の宮町を結ぶ ”やまなみハイウェイ”が開通したのは
前年の1964年10月のことであり、九州に行くなら是非、走ってみたいと思っていた。
元の白黒写真の画質が悪く、疑似カラー化は大失敗である。
やまなみハイウェイの急坂を自転車を扱いで上ることが出来ず、自転車を押して歩いて
いると後ろから同じく、自転車を押して歩いて来るガタイの良い男がが追い付いて来た。
福岡から来られて阿蘇山周辺をサイクリングするらしいが、ぞうり履きで自転車は
ボロボロの実用車であった。 この後、色々話ししながら、しばし行動を共にする。
標高1,375mの ”鶴見岳”のR・W乗場に着くが、”鶴見岳”に登る予定は無し。
今日の寝床はやまなみハイウェイ沿いの空地としたが、テントは張らずに
広げるだけとして、その上でシュラフで寝た。
7月31日 8日目、やまなみハイウェイ途中〜阿蘇山避難小屋。
空地からの展望は中々のもので、肉眼では別府湾まで見えていた。
夜中、小雨が降って来て、近くでテントを張っていた仁部君のテントに
入れて貰った。 テントはきっちりと張っておかないとダメなことを学んだ。
ドライブでは快適なやまなみハイウェイの周辺には次々と高原の綺麗な景観が出て来る。
デジカメになった現在でこそつなぎ目が絶対にばれないパノラマ写真を作ることが出来るが、
当時の銀塩白黒写真でパノラマとして繋ぎ合せるのは困難な話しである。
”蛇越展望所”から見た絶景であろうが、確証が無い。
当時、やまなみハイウェイは有料道路となっており、自転車は80円徴収された。
現在は全線無料化されていると思う。
先に出発していた仁部君に追いついた。 おいらは貧乏性であるが、仁部君の
貧乏性は数段上だった。 変速ギヤの無い実用車、ぼろきれの様なバック、
ぞうり履き、充分、尊敬に値した。
景勝地には立派な案内板が立っているのが有難かった。
仮眠を取り出した阿部君。 貧乏性と気楽性が彼の取り柄なのだろう。
展望所から見た”山下池”と奥には ”小田池”。
写真のカラーが再現出来ていないのが悔やまれる。
これは ”伽藍岳”(硫黄山)だろうか?  山名は最近調べた。
ボーっと展望を眺めながら休憩する。
”くじゅう連山”への登山口になる ”長者原”に着く。
これも当時は当時は ”阿蘇山”以外は知らなかった。
”くじゅう連山”が見え出して来たが、当時は山の名前はまったく判らなかった。
”牧ノ戸峠”から大輪山を一気に下る道路に入る。
”久住山”(1,787m)への登山口となる ”牧ノ戸峠”(1,350m)に着く。
”牧ノ戸峠”には、その後、山歩きで何度か行くことになった。
トラックの運ちゃんが ”兄ちゃん! 70km/h以上出てたでー”と
教えてくれた。自転車での最高記録かも知れない。
外輪山から阿蘇平地への標高差400m差を一気に下る。
”小堀牧”の牧草地を進み、振り返り阿蘇平野を見る。
外輪山を一気に下り終えて、牧場地である ”小堀牧”に着く。
この辺りから ”酔仙峡”の道が始まる。
”小堀牧”の牧草地から仰ぎ見た ”阿蘇山”。 ここから酔仙峡の有料道路に入って行く。
当時、阿蘇山は阿蘇山であり、最高峰があるのを知ったのは山歩きを始めてからのことである。
阿蘇山R・Wの麓駅のある ”仙酔峡”に着く。
有料道路に入ってからも火山灰と火山石が酷く、
オマケに急坂なので、殆どを自転車を押して歩いた。
当時、”仙酔峡”までの道路は有料であったが、
現在は無料開放されている。
別府市〜一の宮町を結ぶ県道11号線 ”やまなみハイウェイ”の
現在の地図。
やっと阿蘇外輪山の一郭であるやまなみハイウェイの最高地点である ”牧ノ戸峠”に着く。
眼下に見えるのは阿蘇山カルデラ平野であり、やたら広かった。
”久住連山”からの裾野を見る。
”仙酔峡”までは自転車で上ったが、仙酔峡から
”火口東展望所”までは徒歩で上った。
仙酔峡に向かう道は火山灰と火山石で自転車では走り難い道だったので、一の宮まで引き返して市バスに乗ろうとしたが、市バスは終わっていた。 途中で仁部君とすれ違ったので仁部君を追っかける。
  気が付けば今日も昼飯を食べていなかった。 ”仙酔峡”には阿蘇山R・Wの麓駅があり、売店で夕食代わりのお菓子を購入する。 日暮れて来たので阿蘇山登山は明日に廻し、火山石避難所でシュラフを広げて宿泊準備をしていると、地元の人が寄って来て 「そこは朝冷えるから山小屋に泊りなよ!」とアドバイスをしてくれた。 ”山小屋”なるものは無人小屋で無料だった。
  残念ながら ”山小屋”の写真を撮っていなくて、”山小屋”関連の記憶も無くしている。
”その3”に進む
阿蘇山火口の絵ハガキ