兵庫県加古川市志方町廣尾

2021年11月21日


日本のお城に戻る
日本のお城』 22年前に登っている様だが、再度登っても何も思い出さなかった。
中道子山城跡城郭放浪記さんのHPから抜粋)
  中道子山城は標高271mの城山山頂に築かれており、現在は城山公園として整備されている。 山頂の東端に主郭、南尾根に二の丸、西尾根に三の丸を配している。 主郭は山頂にあり、中央からやや東へ張り出した所に位置する。 非常に広い曲輪で、周囲は切岸加工され、北側は低い土塁が巡らされている。 現在ここに「赤松城址」の石碑が建っている。 中央から北西に伸びた尾根に三の丸があり、北東側に搦め手の虎口があり、コの字に屈折して石積された門跡が残る。本丸と三ノ丸との間に井戸曲輪があり、石組み井戸が残る。
中道子城跡
  ”城山”には過去に登っている薄い記憶があったが、我がHPにも記載が無く、
迷宮入りかと思われたが、古い日記に ”紅山”の次に ”城山”に登った記載があった。 標高271mの低山にわざわざ行く気にはならなかったが、今回は ”中道子
城跡”としてのお城跡巡りを理由に行く事とした。
  ハイキング山としても、お城跡巡りとしても知名度が低く、大した城跡では無いと思っていたが、加古川市が観光開発に力を入れているのか、道標、案内板が整備されている良い環境の城跡であった。 山頂からは東方向の展望が開けていたので、初日の出を拝むのに良い山かも知れない。
中道子山城跡
  標高271mの”城山”に登った記憶があるが・・・
本志方町の ”城山”の近くを車で通る度に、昔、登った気がするのであるが、我がHPにはその旨が記載されていなかった。
更に調べて見ると1999年1月2日、49歳の時に山頂には城跡があったとの旨が古い日記に記載されていた。 やはり過去に登っていたのであったが、林道を車で上った様な記憶しか戻って来なかった。
ちゅうどうしさんじょうあと
Road Map :県道43号線、志方東小学校の交差点から東向きの市道
            に入るのが一番判り易い。途中に城山登山口の道標あり。
Route Map:登りは林道からロープ場道に入り、遊歩道で下る。

志方の城山
志方町付近を通る度に、昔、登ったことがある気がしていた ”城山”標高271mの極低山を見る。
地元の古老の話しでは、粗大ゴミの不法廃棄が多いので林道が封鎖されたらしい。
林道入口付近にある登山者用駐車場は車10台分位の広さがあった。
NHKの黒田官兵衛の大河ドラマ放映以来、あちこちの山に
黒田官兵衛の案内板が立ち出している。 クリックで拡大します。
駐車場に立っていた古い案内板は劣化しており読み難いが、
山頂の ”赤松城址”が何? の感じがした。
直ぐに散歩していた地元の古老に追い付き、色々と城山の話しを聞き
ながら歩くが、余りに歩く速度が遅いので時間を無駄にしてしまった。
駐車場から1分程で、林道入口の車止めゲートに着く。
昔は終点駐車場まで車で走れたのであるが、テレビ、冷蔵庫の
粗大ゴミの不法投棄が横行し、林道は封鎖されたらしい。
間も無く ”城山旧道”の入口に着き、古老と別れて旧道に入る。
”旧道入口”には様々な道標がぶら下がっていたが、
何を指しているのか判らなかった。
岩峰のてっぺんに乗っかっているのが ”毘沙門岩”らしい。
落ちて来そうな感じに見えた。
登山道を少し登り、横から ”毘沙門岩”を見るが、
樹木で綺麗に隠れてしまった。
岩峰の根元にあった ”毘沙門岩”の標識。
くさりでテッペンまで登れるのかは確認しなかった。
標識の ”すぐ”の文字に騙された。
ひと登りすると、”小毘沙門岩”に続く道が出て来たので行ってみる。
横から見ると ”小毘沙門岩”にはロープで落下止めがされていた。
いつもなら岩峰上に確認しに行くのであるが、今回は割愛しておく。
これが ”小毘沙門岩”らしいが、岩峰の小岩がそれなのか?
展望岩に登ってみると志方の街並みと、平荘湖の北側の ”飯盛山”が望めたが、
黄砂がやって来た様な酷い霞みが掛かっており見通しは極端に悪かった。
展望岩から下側を覗くと吸い込まれそうになり足がすくんだ。
直ぐに ”旧道”に出るであろうと思っていたが、中々 ”旧道”に
戻れなかった。 ロープ場に入ったのは完全に失敗であった。
”小毘沙門岩”から引き返せば良かったのであるが、トラロープが
張ってあるのが見えたので、興味本位で登って見る。
ロープにつかまって這うように登って、やっと ”旧道”に合流出来た。
登りでも苦労したので、この道は絶対に下りで使うべきではない。
曲輪跡にも見えるフラットな地形となったが、
ここが遊歩道との合流点であった。
”旧道”とは言え、標識もあるよく整備された道が続いた。
”城山旧道”は読めるが、もう一つは
”城山本道”と書かれているのか?
本道と旧道の分岐点には ”大手門”の標柱が立っていた。
この辺りから城郭の遺構が出て来る様であった。
草木が茂り、それらしくに見えないが、”櫓台”の標柱が立っていた。
麓から見て ”電波反射板”が立っていた ”二の丸跡”に着く。
”電波反射板”の下からは展望が得られた。
”二の丸跡”から見た、左、”飯盛山”を筆頭に続く里山群。
”高御位山”から続く山々が望めた。
”城門跡”が想像出来る地形となっていた。
山頂付近には ”井戸跡”が2つあり、この ”井戸跡”は見に行かなかった。
広い道沿いには各種お地蔵さんが祀られていた。
”天上見晴台”方向に歩いて見るが、中々出て来ないので、
諦めて途中で引返した。 ”八十八ヶ所巡り”は周辺に沢山ある
お地蔵さんを巡ることだと思う。
山頂付近に立っていた城跡の案内板。
上記案内板から城跡地図のみ抜粋してみた。
”本丸跡”に向かう道沿いには ”米蔵跡”のエリアがあった。
奥に見える建屋は公園のトイレである。
現在、平地があるだけの ”米蔵跡” 標柱が無ければただの平地である。
”城山公園”として整備されたのであろう立派過ぎる ”トイレ”。
因みに洋式なのか、和式なのかは確認していない。
”赤松城址”の石碑。
”本丸跡”が ”城山公園”として整備されている様だった。
”中道子山城跡”に ”赤松城址”の石碑が立っているのは歴史を勉強する必要がありそうだ。
”本丸跡”からは大展望であるが、今日の霞みと逆光で冴えない展望となってしまった。
22年前の日記にも「山頂からは大展望!」と書かれていた。
東方向に見えていた ”権現ダム湖”
”本丸跡”の東端から見た広々とした ”本丸跡”(城山公園)の全体。
”本丸跡地”には標高271mの ”城山”と
しての ”三角点”があった。
一郭ではあるが、見事な紅葉を見ることも出来た。
丸い形の曲輪跡に文字が消えている標柱が立っていたが、
場所から ”三の丸跡”と書かれていると思われる。
よく整備された遊歩道は歩き易く楽ではあるが、
単調で面白味に欠けていた。
遊歩道で下山する。
林道終点の駐車場は道路が広くなっているだけで、
車6台程のスペースしかなかった。
12分程で林道終点の登山口に出る。
林道終点に立っていた ”加古川60選”の案内板。
”志方の城山”は60選の内、良い方の名勝地であろう。
林道を下り、登りに使った ”旧道”入口に戻って来た。
林道歩き17分で車止めゲートに戻ると、
3名の中年女性ハイカーが登って来た。