『エンジン開発履歴』 入場券の支給を待っていたが貰えそうにないので自費で見学に行く。
カワサキ・ワールドを一度は見ておこうと思った。
2006年に神戸港にある ”神戸海洋博物館”内に ”カワサキ・ワールド”なる施設が出来て、
これまでカワサキが作って来た バイク、車両、船舶、航空機関連の展示品があると知った。
興味があるのは歴史ある古いバイクであるが、カワサキ社員には無料入場券が当然配布される
だろうと待っていたが、まったく無かった。
退職前に開発した ”Ninja H2R”も展示されていると聞き、解説員が ”H2R”に対して
どんな説明をしてくれるのか聞きたくて、入場料900円の大枚をはたいて入場してみる。
展示品の解説員は綺麗なおねーちゃんで無く、川重を退職したOBでおじんばかりであった。
知合いの同期生も解説員をしていたが、おいらにも解説員をする権利があったのだ。
カワサキ・ワールドは面白かった。
入場料的には900円は高過ぎると思うが、最近はカワサキバイク乗りの
聖地になっている様で、鉄道マニア、てっちゃんにも人気がある様だ。
もう一度ゆっくり見学してみたい施設であった。
カワサキ・ワールド見学
南京町で食事をしてブラブラと神戸港まで歩き、
カワサキ・ワールドに入館する。
新幹線等の実物が展示してあり入場料900円の値打ちはあった。
高校生の時に憧れていたカワサキのGPマシン ”KR−2” 125ccクラスのファクトリーマシン。
チャンピオンを取っていたのは知らなかった。 噂では 125cc4気筒を開発していたと聞く。
川崎航空機の入社試験面接でGPレーサーを熱く語ったのを覚えている。
1973年(昭和48年)には米国で販売されていた ”JS400” ジェットスキーの初代機種。
仕事として担当したのは排気量アップした ”JS440”からだった。
初代ジェットスキーは重量100kgなので2人で持ち運ぶことが出来た。
1963年(昭和38年) カワサキ「赤タンク」時代、市販車 ”B8”
2st125ccをモトクロッサーに改造して青野ヶ原モトクロスレースで
1位から6位まで入賞したとの自慢話が展示されていた。
”高橋鉄郎さん”はモトクロス社内チームのスポンサー、後のロードレース名ライダーとなる ”清原明彦さん”もこのチームで育っている。
”飯原武志さん”とはモトクロス開発のメカニックとして、しばらくは仕事仲間となる。
カワサキオートバイの名声を一機に高めた名車 ”カワサキ・Z1” 4st4気筒903cc。
当初、750ccで開発が進められていたが、H車から ”CB750”が先行発売されたので、
急遽、排気量アップした903ccに設計をやり直した話しを聞いたことがある。
その結果、アメリカで大ヒットして ”ニューヨーク・ステーキ”の愛称が付いたらしい。
4気筒なのに組立クランクシャフトにはびっくりした。 クランクシャフトの振れは取れたのか?
本日の本題は ”H2R”であり、実車を見たい訳では無く、解説員がどう説明してくれるのかであったが、解説員は造船事業部のOBらしく、バイクのことは何も知らなかった。なので逆に解説して上げた。
ガスタービンの技術はスーパーチャージャ設計でお世話になったが、航空機エンジンの技術の応用はウソ!
航空機の設計に用いられる風洞にて風損、高速安定性をテストしたのは本当!
風洞実験にて開発された ”F1レーサー”と同じく、
バックミラーまでウィングとなっている。
樹脂カウル車:265万円
カーボンカウル車:605万円
ひと扱けで修理費は幾ら掛るのか・・・絶対乗らない!
ラウンドラジエータと水冷オイルクーラーはカワサキとしては初めてティラド社製
を使った。 従来のデンソー製とは部品規格が違うので小さな苦労が多々あった。
クラッチにはFFC社製の大発明と言えるアシストクラッチを使ったが、
巨大エンジントルクに耐えられる様にすると評価ライダーからOKが貰えなかった。FCC製アシストクラッチはBTR(バックトルクリミッタ―)機能も付いているので全車種に採用して貰いたい物だ。(社外からの声です)