岡山県岡山市北区後楽園

2020年09月15日


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その他』 姫路城とはまったく違う完成美が感じられた。
岡山城の歴史
  岡山城は、戦国時代の大名・宇喜多秀家によって、8年の歳月を費やして1597年に完成されました。
城は西向きであったため、秀家は、背後から敵に侵入されるのを防ぐために、近くを流れる旭川を、
城の東背後を流れるように大工事を行いました。 天守閣の壁に黒漆塗りの板を取り付けるこの時代の
建築の特徴から、外観は黒く、後の時代には「烏城」と呼ばれるようになりました。 秀家は、岡山城を戦の施設としてだけでなく、商人や職人を集めて城下町の整備を行い、治世の府としました。
  池田家が城主になった後も岡山城の周辺整備は進み、17世紀末には旭川を隔てた北側に、広大な大名
庭園である岡山後楽園が設けられました。 岡山城は、歴代城主の下で岡山の町並みの発展を見続け、
近代都市の礎となりました。
岡山城
  世界遺産となり駐車料も入城料も高い ”姫路城”と違い、何もかもリーズナブルな値段であり、特に65歳以上のシニア世代には格安の料金設定となっていた。
今日の岡山名勝地散策
  岡山後楽園 → 岡山城 → 岡山後楽園 → 備中高松城 → 鬼ノ城
〔070〕岡山城
  岡山後楽園と岡山城とは隣接した施設であり、2つをセットとした観光地と捉え、お城の歴史に少しだけ詳しい友達に同行を願った。
おかやまじょう
Road Map :山陽道を岡山ICで下りて、R53を南下して直ぐの所にある。
Route Map:後楽園の駐車場から後楽園を半分散策してから岡山城を見学し、後楽園に戻る。

別名「烏城」(うじょう)
後楽園の正門から入園して、外周路を時計回りに散策して、月見橋から岡山城を往復する。
ガッチリとした造りの ”月見橋”を渡って岡山城内に入る。
後楽園を正門から入園して、東側半分を時計回りに散策してから南門から
一旦、園外に出る。 園外からは旭川を挟んで岡山城が目前に見えた。
最初に出て来た ”廊下門”を潜る。 石垣が見事である。
次に大きな造りの ”城門”を潜る。
天守閣前の広場でソーシャルディスタンスを保ちながら記念撮影をする。
たまにはおいらも写真を撮って貰いたく、シャッターを頼むと、
天守閣は入っていないわ、傾いているわのヤケクソ写真を撮ってくれた。
姫路城の ”白鷺城”に相反して ”烏城”の別名持つ岡山城も素晴らしいデザイン、色合いに思えた。
天守閣への入場料は大人410円、シニア65歳以上140円で、リーズナブルであった。
天守閣の上りはエレベータを使って楽をし、6階までは階段を使う。
下りは階段を歩いて各階の展示物を見学した。
城郭の簡易地図。
”金のシャチホコ”は陽光に輝いていた。
後ろに見える ”操山”へは '10年01月に登っている。
天守閣の最上部(6階)から見た ”金のシャチホコ”
天守閣の最上部(6階)から窓ガラス越しに見た 旭川と後楽園。
この手の展示物に興味が薄いので、さらりと見るに終える。
6階から階段を下りながら、各階の展示物を見て行く。
退城口を出ると、笠井真一氏の銅像が立っていたが、興味は無い。
お城の裏側に出る道から退城する。
天守閣の裏側に廻り、天守閣を見上げる。
”月見橋”に戻り、後楽園の残り西側部分の散策を続ける。
”月見橋”の中央から見た旭川と岡山城天守閣。
”城門”は、建屋、石垣共に立派な造りであった。