(高校1年生16歳)
1965年07月24日〜08月16日 24日間

温故知新に戻る

自転車旅行』 今回のサイクリングで一番行きたかった地域を観光する。
悪路に苦しめられた仙酔峡〜延岡
  阿蘇山から海岸線まで下りが続く快適な道を予想していたが、大半が舗装工事中の悪路が続き、峠では自転車を押して歩くことも多々あり時間を要した。日南海岸
  延岡からの海岸沿いの道に入ると全面舗装道路であり、高低差も少なく、名勝地、景勝地が続くので観光に時間が取られ、この辺りでも思った程には進まなかった。
九州1周自転車旅行 (その3)
きゅうしゅう1しゅうじてんしゃりょこう
いつしか、仁部君も展望台に到着していた。
仁部君に九州1周の誘いを掛けたが、彼は阿蘇山を見たので福岡に帰ると言う。
2日間、付かず離れずでサイクリングした仁部君とはここでお別れとなる。
住所を聞いているので、福岡で立ち寄るかも知れない。
下り道から宿泊した ”山小屋”が見えたが、遠過ぎて詳細が判らなかった。
火口壁に着くと、火口側にガスが入り込んでしまい、見えなくなってしまった。
”展望台”まで約5分の道標があり、展望台へ行ってみる。
”展望台”から見る火口にもガスが廻り込んでしまい、
残念ながら火口を見下ろすことが出来なかった。
どこを見ても火口の荒々しさには感動した。
生まれて初めて見る活火山の山肌に痛く感動した。
登山道は火山石の降り積もった荒れた斜面にしっかり付いていた。
R・Wを見上げて、登山道を淡々と登る。
登山道を徒歩で歩き始めて、振り返り阿蘇平野を見るが、ガスで見えなくなってしまった。
左がR・Wの麓駅、右よりの丸いドームが ”仏舎利塔”。 あちこちに火山弾の避難所があった。
1965年08月01日〜8月02日 酔仙峡〜都井岬
  別府から牧ノ戸峠までの やまなにハイウェイは風光明媚な山岳道路であったが、阿蘇山の外輪山までは上りが続き体力勝負であった。 仙酔峡から海岸線の延岡までは快適な下り道になると予想していたのであるが、ところがどっこい、殆どが地道であり、それも舗装工事中のごろた石が引かれた地道であり、トラックは通る毎に息も出来ないホコリまみれとなった。
なので道路として大半が下り道なのだが、距離はまったく稼げない過酷な道であった。
  反面、延岡の海岸線に出てからは快適なサイクリングを楽しめた。
Road Map :仙酔峡から延岡への110kmの主に国道218号線を走る。
Route Map:阿蘇山から延岡までの悪路に苦しめられる。
8月1日 9日目、阿蘇山から延岡までは主に国道219号線を走る。
8月3日 11日目、延岡〜小目井村。
延岡の海岸までは、殆どが下り道なので、時間稼ぎが出来ることを期待したが、
国道218号線は舗装工事中の悪路であり、ケツに堪えるガタガタ道であった。
何故、”高千穂峡”に寄らなかったのか? 記録も記憶も無い。
仙酔峡を出発して国道265号線に入り南下する。 高森町辺りから
国道325号線に入り、高千穂から国道218号線に乗り換える。
やがて、国道218号線は ”五ヶ瀬川”沿いの道となり峡谷が続く。
悪路から見る ”五ヶ瀬川”の渓流は素晴らしかったが、
景観を楽しむ雰囲気ではなかった。
舗装されていない道路にトラックが通ると、砂ぼこりが舞い上がり、
息苦しくなってしまう。 休憩は酷道を離れた脇道で取る。
悪路でスポークが数本折れて、延岡の自転車やで修理して貰う。
地獄のR325から延岡市に入り、海岸線に向かう。
海水浴場に行くと、自転車屋で紹介して貰った休憩所があった。
ここを今夜の寝床にしようとしたが、24時過ぎまで客が居て、
ゆっくり寝られたのは24時過ぎであった。
海水浴場の休息所「戸田」は自転車屋の紹介で無料で利用出来ることに
なったが、疲れて熟睡している間に、ヤブ蚊に一杯刺された。
今回の旅行ではヤブ蚊対策を怠っていた。
サボテン公園の絵ハガキ
9日目は酔仙峡の山小屋を出発して、阿蘇山を左周りにR325に入る。 アップダウンの多い地道で距離が稼げなかった。
本日はお寺に停めて頂く。
  仙酔峡からR325を延岡に向けてひたすら走るが、悪路とアップダウンの多さで思った程には距離が稼げなかった。
45kmの距離に9時間が掛かってしまい、熊本県から宮崎県に入ってしばらく進むと陽が暮れて来た。
  どこで宿泊しようかと道脇でボーっと立っていると、学生が寄って来て 「そこのお寺に頼むと泊めてくれる。」と教えてくれた。
物乞いする様にお寺に嘆願すると、心良く宿泊を了承して頂き、晩飯まで出してくれた。 久し振りのお風呂もお借りした。
  ここの住職は昔、西宮の明和病院にお世話になったことがあるらしく、西宮ネタで話しは弾んだ。
8月2日 10日目   お寺では朝食を頂き、お弁当まで作って頂いた。 お世話になった割にはお寺の名前もメモしていなかった。
宮崎市に入り、南国感たっぷりの フェニックス通りを走る。
日南海岸は名勝地が多く、途中で自転車が
故障して走行距離は稼げなかった。
”宮崎神宮”に立ち寄り、少し休憩する。
大きなフジの木があったが、この季節には当然、花は咲いていない。
神宮には興味はまったく無いが、日影を探して休憩する。
”子供の国”で記念写真を撮っておく。
途中、夕立ちでずぶ濡れになってしまい、そのまま、風光明媚な ”堀切峠”まで走ると夕立ちは止んでくれた。 ”堀切峠”で同じくずぶ濡れになった 大分から来られた水産高校3年生の ”寺島君”と出会い、一緒にサイクリングすることになった。 彼も変速ギヤの無いオンボロ自転車だった。
日南海岸の有名観光地である ”サボテン公園”を散策する。
現地で買った絵葉書より転載。 ”隆起海床”と呼ばれている島には
遊歩道が架けられていたが、何故か遊歩道を歩いた記憶も写真も無い。
現地で買った絵葉書より転載。 日南海岸、特に堀切峠からの海岸線を
見たかったのである。 サボテン公園のサボテンには用が無かった。
当時、日南海岸は新婚旅行のメッカであったが、新婚旅行はリーズナブルに
なった旅行に代わり、現在、サボテン公園は閉鎖されているらしい。
2人で今夜の寝床を探すと小目井集落に空家の様な公民館を見付け、
区長さんに使用とお願いしに行くと、快く了承して頂いた。
寺島君の自転車は仁部君と同様に完全に実用車であり、
こんなのでサイクリングをする気になれるんだ! と感心させられた。
夕刻の暇潰しに近所の小学生と話しする。 海ではサザエが多く採れるらしい。
小目井村から直ぐ近くにあった ”鵜戸神宮”に寄ってみる。
白黒写真が惜しまれる圧倒される海の色と迫力ある岩礁であった。
国道から海蝕洞窟のある海岸線まで下って行く。
海岸沿いにやたらデカイ海食洞窟が大きな口を開けていた。
この中に ”鵜戸神宮”がすっぽりと建っていた。
海蝕洞窟の中には小さな神社が建っているのではなく、大きな神社が天井一杯
まで建っていた。 白黒写真で色が出ていないが、全体が朱色に塗られていた。
見上げる天井。 この ”鵜戸神宮”は無料で見れたのは儲けものであった。
日南海岸で一番行きたかったのは ”都井岬”である。
早速、小型の野生馬である ”御崎馬”が出迎えてくれた。
馬に夢中になり、肝心の都井岬灯台、海岸線の写真を撮るのを忘れてしまっていた。
”御崎馬”は観光客慣れしており、逃げようとはしなかった。
実際には散策して灯台も海岸線も見ているのであろうが、
今では記憶にないし、写真に残さなかったのは悔やまれる。
都井岬に立派なホテルが建っていたので寄ってみただけで、ここに泊る訳ではない。日南海岸への旅行ブームが去って、2014年には倒産し廃屋となったらしい。
屋根だけの写真しか残っていないが、実際に宿泊したのはこの公民館。
風呂付の素泊まりで百円の料金に感謝する。
8月4日 12日目、小目井村〜都井岬。
その4に進む