岡山県岡山市北区立田

2020年09月15日


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その他』 姫城址としては何も残っておらず、水攻めの歴史を知っておかないと何も面白くない城址であった。
おかやま観光コンベンションのHPから
  備中高松城は、かつて深い堀と沼沢地に囲まれた毛利氏の堅固な要塞でした。 天下統一を目指す織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)の参謀・黒田官兵衛の奇策「水攻め」にあい、城主・清水宗治の自刃とともに落城しました。 現在は歴史公園として整備されています。 公園内の本丸跡には清水宗治の首塚があり、資料館には水攻めの資料などが展示されています。 夏には花菖蒲や宗治蓮(むねはるはす)が咲き、来園者を愉しませています。 高松城址公園の周辺に水攻築堤跡「蛙ヶ鼻(かわずがはな)」や秀吉が腰掛けていたとされる「太閤腰掛岩」など、今もその歴史を感じることができる遺跡が残っています。
備中高松城址
  今日、初めて聞いて突然連れて来られた城址には、城址としての実体が何も残っておらず城巡り素人には何も面白いものが無かった。 歴史の背景だけで続日本100名城に登録されるのか? 山でも歴史的背景だけで名山になることも多いのと同じ?
今日の岡山名勝地散策
  岡山後楽園岡山城 → 岡山後楽園 → 備中高松城跡 → 鬼ノ城
〔171〕備中高松城
  岡山後楽園、岡山城を散策して帰宅する予定であったが、相棒から更にお城址巡りをしたいとのリクエストが出て来た。 岡山市街から近い所らしいので、リクエストに応じて行ってみる。
びっちゅう・たかまつじょう
Road Map :山陽道を吉備スマートICで下りて、R180を西進して山陽道を潜ると北側にある。
Route Map:広い湿地帯があるだけで、小高い土盛りに首塚があるだけだった。

続日本100名城
城址地に立っていた水攻の説明図。 内容は歴史を勉強しないと判らないが、城の周りに水を導入して、城を水没させた様だ。
気が向いた時にでも読んでみます。
”高松城址公園資料館”でお城巡りのスタンプが押せる様だ。
相棒は、このスタンプ集めを趣味にお城巡りをしている様である。
現在の地形図。 水色部分が川、又は沼地である。
本丸跡となっているが、現在は何も残っていなかった。
水攻めで水没した一帯が公園となり、ハス畑になっている様である。
歴史を勉強しないと内容が判らないが、これが切腹した城主 ”清水宗治公”の「首塚」らしい。
城址としての姿はなくなり  ”首塚”だけが実体として残っている様である。
歴史を知らなければ、まったく面白く無い城址だった。