山口県萩市堀内字旧城

2022年08月05日


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日本のお城巡り』 スタンプだけの収集目的の相棒と散策がしたいおいらとで目的が合わなくなって来た。
萩城,指月公園(ウィキペディアより抜粋)
  指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城
(詰丸)で構成されている。 本丸の御殿は藩主居館と政庁を兼ねており、
250年余りの間、長州藩(萩藩)の拠点であったが、明治7年(1874年)前年に発布された廃城令により櫓など他の建物と共に破却され、石垣や堀
(水堀)のみが現存している。 現存していた頃の姿は解体前に撮影された古写真で見ることができる。 現在、二の丸土塀や三の丸総門など一部は復元されている。 さらには、破却された天守など建物の復元を行う動きもあるが、財源の問題で難しくなっている。
  現在、城跡は指月公園(しづきこうえん)として整備され、二の丸入口
近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(重要文化財)が現存し、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっている。
萩城跡巡り
  3名で山口まで来ているのに、思い、行動は様々に別れてしまった。
首謀者は日本100名城のスタンプを求めて日本中を回っている相棒であるが、観光地に行きたいが歩きたくない女性である。 普通、思いの違う3名でのドライブは行うべではないと思うが、仲良く行動している。
'22年度の山口県のお城巡り
  岩国城大内氏館・高嶺城 ⇒ 津和野城跡 ⇒ 萩城跡 ⇒ 阿武川ダム
〔075〕萩 城
  今までもそうであったが、今回のお城巡りも気持ち、行動が異なる
仲間3名であることがはっきりして来た。
  首謀者は日本100名城のスタンプを収集するだけの男性であり、もう一人は体力不足から歩きたく無い女性であり、城跡を出来るだけ散策したいおいらとは行動が異なってしまう。 誰かが妥協する必要があり、3人の行動が揃わないことになってしまった。  
はぎじょう
Road Map :萩市街にはいれば北西方向の日本海側に萩城跡がある。、
Route Map:仲間を長時間待たせる訳には行けないので萩城跡の散策に
            留めたが、指月山には登りたかった。

日本100名城
長時間仲間を待たす訳には行かないので、指月山は断念した。
早朝の豪雨がウソの様に晴れて来た萩城公園の無料駐車場に車を停める。
城門まではクランクになった石垣が続くが、
この道は車でも通ることが許されていた。
素人目にも綺麗に積まれて石垣だと感じた。
遺構が残るのは石垣だけが日本のお城の欠点なのだろう。
駐車場から少し歩くと城門に着いた。
ここで仲間2人は城内には入らないと言い出した。 なんでここまで来て入城しないのか?
1人、入城料210円を払って入場する。 待ち人が居るなら ”指月山”までは行けないだろう。
この時点では左の掘りべりの高台が ”天守台”だとはまったく気付かなかった。
常識的にはこんな立地に ”天守台”を設置しないだろう。
後日、ネットで見付けた復元計画図。 予算不足で復元計画は
頓挫したらしいが、復元しておけば観光で取り戻せていたと思う。
公園化された城内に入る。 散策地図が無く、どこをどう歩けば良いのか判らない。
標柱を見て初めて ”天守台”だと知った。
高台があったので行ってみる。 この時点では櫓跡と思っていた。
”天守台”に上がる。 基礎石は昔のままなのだろうか?
直ぐ近くにある海岸線は見えそうで見えなかった。
しばし ”天守台”から周囲を眺める。
お堀は複雑に入り組んでいた。 これも防御の一環なのか?
”指月山”にも城郭跡があるらしいので、当然行くべしであったが、
仲間を待たしているので時間が取れず、”指月山”に行くは断念した。
お堀の外周も散策出来そうであったが、それも断念した。
お堀沿いに少し進んで、振り返り ”天守台”を見る。
”天守台”は絶好の ”展望台”であった。
明治7年に解体した。 と書かれていた。
城郭内を散策すると様々な古い建屋が残っていたが、
興味が薄く、通り過ぎるだけとなってしまった。
日本庭園があったが、池には涸れており見る影も無かった。
この先には ”志都岐山神社”があるらしいが、
時間の節約で神社には行かなかった。
城内には樹齢を重ねている巨木が目立っていた。
日本庭園に似合いそうな奇妙な樹形のアカマツ。
ひたすらデカイ、アカマツ。
城郭の入口に戻って来る。 車は駐車場からお堀際に移動していた。
お堀には沢山のコイが泳いでいるのに気付かなかった。
入口に説明板があるのが気付かず、帰路で写真を撮っておく。
文面には山麓の平城、頂上の山城と書かれている。
やはり、指月山に行かなかったことに後ろ髪を引かれる。