兵庫県加古川市東神吉町升田
『兵庫100山』 升田山へは昔登ろうとしたことがあるが、登山道が整備されていなかったので途中で敗退している。
加古川観光協会のHPから抜粋
地元に親しまれている「升田山」をご存知でしょうか?
標高105mと元々登りやすい山でしたが、登山道が整備されました! 案内板や
ガイドチェーンなども設置され、高齢者やファミリーにも訪れやすい、さらに
手軽なハイキングコースとして生まれ変わった升田山に、ぜひ登りませんか。
升田山案内図PDF
標高105mの升田山
昔、藪山で登頂を断念している ”升田山”であるが、加古川観光協会のHPに登山道が整備されたとのネット情報を見て急に行きたくなった。
標高105mでは山歩きでは無いと思われるが、展望の良い山であり変化も多かったので、年寄りにとっては充分楽しめる山であった。 今回、色々と経験してしまったので、2回目には何の感激も無いだろうと思う。
升田山 (105m)
”升田山”には2010年元日に平荘湖に初日の出を見に行った際に登ってみようと
試みたことがあるが、踏み跡はあるものの余りの薮扱きに途中で諦めたことがある。
それ以来 ”升田山”にはまともな登山道は無いと思い込み登ってみたいとの気は
湧かなかった。
今回、偶然、加古川観光協会のHPを見ることになり、”升田山”の登山道が整備
され ”高齢者もOK”との記述があったので、俄然、行く気になってしまった。
ますだやま
Road Map :平荘湖の南側、県道79号線から升田地区の登山者用Pに至る。
Route Map:今回は升田地区の無料Pから ”八十の岩橋”を目指す。
平荘湖の山
加古川観光協会のHPから転用した簡易地図。
平荘湖周辺の古墳群
古墳にはまったく興味が無いが、平荘湖周辺には沢山の古墳がある様で、参考に
”東播磨の史跡(平荘湖古墳群)のHPをリンクしておきます。
石切り場への登山口を見逃し、道間違えに気付き往復15分のタイムロスとなってしまった。
駐車場から直ぐ東側の道路に登山口があった。
道標、案内板があり、登山口は簡単に判った。
県道29号線沿いの案内板に従い、登山者用の無料駐車場に車を停める。
石階段で整備された参道らしい道が続く。
登山道に入ると直ぐに石の鳥居があり、この道は参道の様であった。
前方に何やらお堂が見えて来た。
ここで登山道を見失うがお堂の裏側にくさり場があった。
お堂裏側のくさり場を登る。 くさりのサイズが大き過ぎて重いので、
非力な女性には辛いかも知れない。 くさりを持たなくても登ることは
出来る。
くさり場を登り切ると道標が立っており、東側からの登山口からの道の分岐点とな
っていた。
簡易地図に記載されている ”八十の岩橋”は、このスラブのことなのか?
色々調べたが ”八十の岩橋”の意味が判らない。
”八十の岩橋”のスラブは高御位山を思わす岩峰であった。
”八十の岩橋”から振り返れば、加古川、加古川市街の展望が開けた。
肉眼では瀬戸内海も見えていたが、かすみが酷く、写真には乗っていなかった。
スラブ岩峰の上部からは北東方向、平荘湖も見える様になって来た。
更に展望の良いスラブ岩峰が続く。
南西方向の展望には ”上島”も見えていたが、写真には乗っていなかった。
北東方向には ”平荘湖”の一部が見え始めた。
山頂の標識が小さく見えて来た。
標高105mながら三角点も鎮座していた。
Pから22分にて ”升田山”標高105mに着く。
山登りとして山に登るは久し振りであり、新鮮であった。
加古川観光協会の手で整備されたのか? 立派な山頂標識が立っていた。
山頂から少し北側へ岩峰を下りると、今日の目的である ”平荘湖”がバッチリ見えた。
樹林の中に見えている白い岩は石切場の一郭であり、このまま石切り場に下る予定であったが、
尾根筋で下山することに変更した。
更に ”平荘湖”の西側を見る。 尾根筋を縦走すれば左端のダム堰堤に下る予定となる。
尾根筋の縦走入口はスラブ岩の急な下りとなる。
スラブ岩の下端部にはロープ場も出て来たが、
ロープに頼ることなく下ることが出来た。
”平荘湖”に下る分岐道が出て来たが、直進して縦走を続ける。
下り終えると後はフラットな樹林帯の展望の無い道が続く。
加古川観光協会が言っている様に整備された歩き易い道が続く。
続いて開けた岩盤帯に出たが、ここからも展望は得られなかった。
開けた露岩帯に出たが、相変わらず展望は得られない。
次々と ”古墳群”の標柱が出て来る様になるが、
”古墳”の実体は見当たらない。 発掘後、埋め戻されたのか?
再び樹林帯の展望の利かない縦走路に戻る。
所々には説明板も表示されていた。
後日に知ったことであるが ”升田山十五号墳”は
内部に入れるらしい。 次には探してみよう。
真剣に探した訳ではないが、古墳の在りかを示す
標柱の周囲には何の痕跡も見付からなかった。
参考に ”東播磨の史跡”にあった古墳群の
地図を添付しました。 平荘湖の古墳は
実体を見ることが出来ます。
ここまで平坦であった縦走路がいよいよ下りとなる。
下り途中から見た ”平荘湖の第3ダム”。
2020年元日に訪れた時にも、藪道を這い上がり、この辺りから ”平荘湖”見ている。
縦走を終えて湖岸遊歩道に出る。
遊歩道から見た縦走登山道入口。
遊歩道から見た ”平荘湖”。 ここからは ”飯盛山”は見えておらず、見えているピークは ”相ノ山”である。
昔、聞いたことがある話しであるが ”平荘湖”は人造湖で、湖の水は加古川からポンプアップしているらしい。
これから行く予定の採石場が見えて来た。
反対側も採石場であり、尾根筋の巾は数mしかない様だ。
車の進入は出来ない湖岸遊歩道は近隣住民の
ウォーキング、ジョギングの場となっていた。
”第3ダム”の間には一目で判る ”高御位山”が見えていた。
遊歩道は ”第1ダム堰”の西端で終わる。
この既に石切り場への登山道入口を見逃していた。
遊歩道を抜けると一般道路となるが、この場所には駐車禁止の表示があった。
石切り場への登山道を探しながら道路を下って行くが、どこまで歩いても見付からない。
どこかで登山口を見過ごしているのだろうと引き返す。 ハイカーが居たので訪ねてみると
遊歩道ゲートの少し先にあると教えてくれた。 見逃していたのであった。
ゲートから少し引き返すと登山口を示すナビテープがあった。
湖側を見ながら歩いていたので、見逃していたのであった。
薮っぽい道であったが、踏み跡ははっきりしていた。
直ぐに東側の50m以上はありそうな ”石切り場”が見える様になった。
この反対側は西側の ”石切り場”があり、壁1枚で立っている様だ。
手作りと思われる立派な道標であるが、防腐対策の為か、
焼きが入れられており、これが保護色となって見付け難かった。
迂回して歩いていると、見え難い所に道標があった。
真っ直ぐ進むと 西側の ”石切り場”に出られる様であった。
ひと登りすると、遊歩道から見えていた西側の ”石切り場”の上に出た。
尾根筋を進み、振り返り見た西側の ”石切り場”。
こんな所にくさり場があった。 分岐を真っ直ぐに進み 西側の
”石切り場”に行っておれば、このくさり場の下に出る様であった。
笹薮で安全そうな尾根道に見えるが、この両側は数mで石切り場が
迫っているのである。 笹薮が無ければ怖くて歩けないかも知れない。
次に東側の ”石切り場”の展望が開けた。 平荘湖の ”第一ダム堰”も望めた。
”石切り場”として見ると若干の興醒めであるが、
自然の風景として見ると中々の物である。
足元から下を覗くと吸い込まれそうになる。
50m以上の絶壁となっている。
標高は105mなので、直ぐに山頂近くとなる。
”升田山”への登山道に戻る。
振り返り見る ”平荘湖”は登頂時に見た景色と
同じであるが、この展望が今日の目的である。
再び、”升田山”の山頂に立つ。
下り方向で ”八十の岩橋”のスラブを見る。
この先がくさり場となる。
くさりは重いので、くさり無しで下る。
ここの太く重いくさりは失敗作だと思う。
登山道の入口となる石の鳥居に戻って来る。
お堂からの参道を下る。
行動時間2時間13分で駐車場に戻って来る。
車が1台増えていたが、山中で会うことは無かった。