退職日に社内にあるカワサキ歴史車記念館を見学する。
社内にカワサキ歴史車記念館が出来ているのは昔から知っていたが、どうせ碌な車がのこっていないだろうと見学する気には成らなかった。
退職日を迎えたので最後に記念に歴史記念館を見ようとすると、ならばそこで職場仲間で記念撮影を撮ろうと集まってくれた。 バイクの開発仲間であるが、歴史車記念館を初めて見る物が大多数だった。
楽しかったエンジン設計業務。
1968年(昭和43年)4月入社〜2014年(平成26年)の勤続46年にて退職を迎えた。
沖縄駐在は2度、海外旅行(出張)は4度、モトクロスレース、ロードレースで全国各地のサーキットを巡った。 スズカ8耐に優勝するマシンも設計し、各種チャンピオンを取るエンジン開発にも携わって来た。
会社と言うスポンサーが付いた予算を気にすることのないエンジン開発に携わるのは楽しい仕事であった。
サラリーマンではあるが、かなり自由に楽しくやって行けた。
エンジン設計は仕事と言う趣味の世界であり、退職前の上長の業務命令に振り回された仕事以外、自由な自分の思いで仕事をさせて頂き、会社には感謝している。
カワサキ歴史車ミュージアム
退職記念撮影会
おいらの退職を聞き付けて集まってくれた実験、設計、上長の関係者。
彼らも歴史記念館を見るのは初めての様だ。
パッと見、意外と記念車が揃っていると思ったが、
ジェットスキー関連はエンジン1台だけだった。
カワサキにはレースでチャンピオンを獲ってもチャンピオン車を保存する
習慣が無く、大体がチャンピオンライダーにプレゼントされていた。
歴史車記念館の設立案が出て、慌てて一般ユーザーから歴史車を
買いあさっているのを聞いたことがある。
億を掛けて開発したレース車くらい保管しとけよ!
ロードレース車への記憶が新しいので熱く語ることが出来た。
設計の愛弟子に古い昔話を語りだすが、設計ツールの
”CATIA”の技能では完全に負けている。
歴史車記念館らしく、ジェットスキー関係の
展示は900ccのエンジン1台だけであった。
実験の若きスタッフと・・・自分が設計したエンジンを組立られない、組立てたことがない設計者が多いが、おいらは2stエンジンでも4stエンジンでも組立てることが出来る現場主義である。
TT−1では日本、ワールドで数々の
チャンピオンを輩出している。
チャンピオン車である ”KR250”はモトクロスレースGrに配属された時、隣りのロードレーサGrで開発が進んでいた。
個人的に製作した ”KR125”は世の中に残っていない。
1992年、川重技術部がロードレース運営を行っていたが、外部にロードレース運営部隊を設立しKRT(カワサキ・ロードレース・チーム)として組合員から外して、重労働を科すことが出来る
要員に任命された。組合員で無くなると残業時間が無制限となるが残業代は無支給となる。
しかし、KRTは優秀なメカニックの元、1992年に ”塚本昭一”がTT-F1にて年間チャンピオンに、翌年の1993年には ”北川圭一”が年間チャンピオンを獲ることが出来ている。
展示されていたのは量産トライアル車の
”KT250”だけであったのには訳がある。
カワサキのトライアルレース契約ライダーの ”加藤文博”氏の
ライダーの契約終了を受けて 加藤ライダーの全ての要望を
全て受け入れたファクトリーマシンを作ってやれの指示が出て、
KT250とは別物のスペシャルマシン ”KT330”を
3台のみ製作する。 加藤ライダーの人望はそれ程に熱かったのだ。
加藤氏はKT330を駆って全日本トライアルチャンピオンを獲った。
1993年に念願のスズカ8耐で優勝するが、優勝したのは本社チームでありKRTでは
無かったが、このマシンのエンジンを開発したのはおいらである。 社長表彰を貰った。