1968年4月に工業高校卒で ”川崎航空機”に定期入社。
”川崎航空機”でかっこ良いと思ったが、1年後の1969年に ”川崎重工業”と合併して
社名が”川崎重工業”に変わってしまった。 合併による仕事の変化は名刺の作り直しだけ。
  2014年5月 65歳にて川崎重工を定年退社、入社後の1年間は実習生であったが、その後の
46年間はガソリンエンジン設計開発に従事し、ディーゼルエンジン以外の全てのガソリンエンジン開発を経験した微かな記憶でエンジン開発の経緯をまとめる。


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元カワサキ重工社員が開発を担当したガソリンエンジン類
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
KT300  エンジン供給のみ  研修時期を終えて小型エンジン開発部門に配属される。
 当時、趣味でバイクに乗っていたので2stエンジンのことは判るが、図面を
 書く程の技術は無かった。
1969年~
X28  エンジン供給のみ  空冷2st2気筒400ccE/G。 米国アークティック社向け、スノーモービルエンジン。
 霧ヶ峰高原、富士山の裾野でG測定の実走テストを行う。
1970年~
スノーモービル
2st4気筒800cc
 レース専用E/G  当時、米国、カナダではスノーモービルの雪上レースが盛んになり、ロードレースと
 同じく、各メーカーの熾烈な戦いとなった。
1970年~
X51  コヨーテ  空冷2st100cc単気筒、子供用ベルコン駆動ミニバイク用エンジン。 1970年~
JS400  JS400  水冷2st2気筒400ccエンジン。 初代ジェットスキー用エンジン。
 米国の発明家 ジェイコブソンからパテントを買って量産化、大ヒットとなる。
1973年販売
JS440  JS440  直ぐにJS400エンジンがボアアップされて440ccエンジンとなる。
 沖縄の海岸にて2ヶ月間の耐久走行テスト通称、サーフ耐久テストを行う。
 走行耐久基地の屋我地ビーチではスタッフと仲良くなり、ダブルタンクのスキューバを
 無償で借りることが出来、3日に一回は夜の海に潜っていた。 役得である。 
1977年販売
JS試乗会  JS440  職場のレクレーションとして高知県生見海岸にてジェットスキーの試乗会を行って
 ジェットスキー未経験者に対してレクチャーが行われた。
1987年販売
JS550  JS550  後年、JS440用エンジンが鋳鉄シリンダで更にボアアップされ550ccエンジンと
 なる。 後にアルミ鋳造シリンダーとなる。 ジェットスキーのベストセラー艇となる。
1982年販売
JS650  JS650SX  ランナーバウト用に新規650cc2気筒エンジンが開発され立ち乗り艇にも搭載される。 1987年販売
TS650  TS650  シングル立ち乗り艇はマニアックで面白いのだが、体重の重いアメリカ人には乗り辛い
 様で、家族で乗れる2~3人乗りのランナーバウト艇がヒット仕出した。
 カワサキも2乗りのランナーバウトであるTS650の販売を始める。
1989年販売
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「ガソリンエンジン開発履歴」
一個人の記憶だけに頼るエンジン開発履歴
作成更新日:2023年03月13日
汎用機小型エンジン開発部門所属時代。
元カワサキ重工社員が開発を担当したガソリンエンジン類
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
KX125SR  ファクトリー
マシン
 空冷125cc2st単気筒エンジン、6速T/M、キックスタータ。
 当時、川崎重工業からはモトクロス車の量産販売が行われておらず、ファクトリー
 マシン を量産化に向けて先行開発、レース参戦を行っていた。
1975年~
KR125SR  個人製作の
ロードレーサー
 ロードレース開発部門の平松氏から仕事では無い個人的な依頼を受けて、モトクロス
 レース用空冷KX125SRエンジンを水冷化し、ギヤレシオを変更して、ロード
 レース 用エンジンを試作する。 業務では無いので、無給残業で設計製作した。
1975年~
KX250SR  ファクトリー
マシン
 空冷250cc2st単気筒エンジン、5速T/M、キックスタータ。
 KX125SRと同様250ccクラスモトクロッサーの量産化に向けてファクトリー
 マシ ンの開発、レース参戦を続ける。
1975年~
KT330  トライアル
ファクトリー
マシン
 カワサキの市販トライアル車の開発に貢献した加藤文博ライダーの契約があと1年と
 なりなり、加藤ライダーに全日本トライアルチャンピオンを取って貰うべき、餞別品と
 して、加藤ライダーの要望を全て込めたファクトリートライアル車を作る。
 1975年全日本トライアル選手権で年間チャンピオンを獲得する。
1976年~
KX500SR  ファクトリー
マシン
 空冷420cc2st単気筒エンジン、5速T/M、キックスタータ。
 主要市場である米国のモトクロスレースではオープンクラスがあり、500ccのモトク
 ロッサーが主に使用されていた。 後に排気量500ccにスケールアップされる。
1969年~
KX125  KX125  ファクトリーマシンKX125SRを量産化する。 1970年~
KX250  KX250  ファクトリーマシン KX250SRを量産化する。 1970年~
KX500  KX500  当初、400ccから開発が始まったフルサイズモトクロッサーであったが、徐々に
 排気量がスケールアップして420ccを経て500ccまでスケールアップした。
1982年販売
KDX125  KDX125  米国で開発していた試作エンデューロマシンを量産化して米国で販売する。 1977年販売
KDX175  KDX175  米国で開発していた試作エンデューロマシンを量産化して米国で販売する。
 後にエンジンが220ccにスケールアップされる。
1982年販売
KDX220  KDX220  KDX125のエンジンが220ccにスケールアップして米国で販売される。 1987年販売
KDX250  KDX250  KX250のエンジンを転用してエンデューロ用にデチューンして販売される。 1991年販売
KDX400  KDX400  KDX400専用エンジンを搭載して米国で販売される。 1989年販売
KDX400  KDX400  KDX400専用エンジンを搭載して米国で販売される。 1989年販売
408  50PS船外機
(量産ならず)
 突然、マリーンプロジェクトなる船外機開発部門が出来て、設計要員に転籍した。
 船外機を1機種作っても商売にはならないと反対したが、試作は進行した。
 エンジン担当かと思ったが、トランサム(プロペラを含む駆動部分)で、材料研究からの
 手探り状態に陥る。 ベベルギヤなんて設計したことも無い。 量産には成らなかった。
1986年~
JS300  JS300SX  当時、ジェットスキー開発は汎用機部門の担当であったが、子供用ジェットスキーを
 作りたいので、エンジンを設計してくれとの依頼があった。船体の小型化は子供向け
 にはならないと反対したが、面白そうなのでエンジン設計を引き受けた。
 エンジンを試作、30㎰を確保してから担当を外れた。 まさか量産化するとは・・・
1987年米国販売
KXT250  TECATE
三輪バギー車
 米国ではスタジアムモトクロスレースがブームとなり、その中でカワサキもスタジアム
 モトクロスレース車をファクトリー供給していた。 スタジアムレースは二輪車だけでは
 無く三輪輪バギー車、四輪バギー車のカテゴリーがあり、三輪バギー用エンジンの設計
 依頼が舞い込んで来た。 KX250モトクロス用エンジンを三輪バギー様にモディファ
 イする。 車体設計は米国なので、当時、高い国際電話打合せが数多く続いた。
1989年販売
モーターサイクル、オフロード車開発部門に移動となる。
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
313 KR250   2stタンデムツインの一般市販車 KR250 のロードレースキット
  パーツ開発する。
1984年~
005  TT-F3  市販スーパースポーツ車である ”ZX400”をTT-F3のレギュレー
 ションに則り、ファクトリー車を開発し、全日本ロードレースに参戦する。
 1990年に鶴田竜二ライダーにより年間チャンピオンを取ることが出来た。
1989年
007  TT-F1  編集中。 1989年
133  T/G  編集中。 1989年
088  TT-F1
ファクトリーE/G
 編開発コード:133のスーパースポーツ75cc市販車をベースにTTーF1クラスの
 ファクトリーエンジンを開発する。 宗和隆宏がスズカサーキットで初優勝した。
1989年
989  SBロードレースエンジン開発  開発コード:088で開発したTT-F1用エンジンをSBのレギュレーションに適合
 させて更に性能アップを図る。
1989年
KRTに出向    エンジン開発部門から、ロードレース運営チームへの転籍を命じられる。
 全日本ロードバイク選手権で塚本ライダー、北川ライダーにより連戦連勝
 となり、2年連続でTT-F1のチャンピオンを勝ち取る。
1992年
オーストラリア
走行テスト
KRT
本社チーム
 真夏であるオーストラリア フィリップ・アイランドにて本社チームと合同でTT-1の
 合同テストを行う。 小生は計測機担当で走行中のデーター取りを行う。
1993年1月31日~
スズカ8耐優勝 KRT
本社チーム
 カワサキの悲願であったスズカ8耐にて本社チームである スコット・ラッセル、アーロン ・スライトの両ライダーにて優勝を果たす。 KRT日本人ライダー塚本昭一、北川圭一
 組は5位入賞を果たしている。
1993年7月25日
489  1,000ccスーパースポーツ車のロードレース用キットパーツを開発する。
 カセットT/Mギヤだったので、OPギヤを用意するが、誰もT/Mギヤは
 交換しない とのことであった。
1993年
モーターサイクル、ロードレース車開発部門に移動となる。
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
789  4st/1,500cc
開発中止
 排ガス規制対応として4st1200ccを設計、試作するが、会社の企画として、
 2stDi(ダイレクト・インジェクション)で行くことが決まり、4stは敗退した。
 試作E/Gは完成していたので、初期性能を取ると153ps/7,000rpmを得られた。
1997年
118  Ultra150  ジェットスキーの最高速度を目指した船体用の2st3気筒1,200ccエンジン。
 最高出力は145ps/6,750rpmを得て量産化に入った。
1997年~
890  開発中断  立ち乗り用の2st/2気筒785ccエンジンを試作するが、企画の不手際で量産化は
 中止となる。 ジェットスキー用E/G開発では企画の不手際が目立つ様になる。
1998年~
294  基礎研究用E/G  882の開発に当り、予備テストとして3気筒エンジンを1/3にした単気筒エンジン
 を作り、吸気リードバルブの取付位置をテストする。
1998年~
624/882  JS1300
開発中止
 624:2stDi3気筒1,200cc 150ps/7,000rpm
 882:2stキャブ3気筒1,300cc 180ps/7,000rpm。
 試作エンジンにて所要出力を得るが、製品企画のまずさから2機種共に生産中止となる。
1998年~
882改-1
 JS1400
開発中止
 2stDi3気筒1,300cc集合排気チャンバーエンジンを1,400ccにボアアップ
 して出力アップを図る。
1998年~
882改-2
 JS1400
開発中止
 2stDi3気筒1,400ccエンジンをキャブ仕様に変更し、独立3本排気チャンバーと
 して 180ps/7,000rpmの出力を目指す。 商品企画のまずさから開発終始になる。
1998年~
410
 JS1400
開発中止
 882エンジンをベースに可変排気バルブを止めて目標出力を145ps/7,000rpm
 に落とした廉価版エンジンを作るが、商品企画のまずさから商品化は中止となる。
1999年
510
 JS1400
開発中止
 410をベースに排気チャンバーをコストダウンしたエンジンを作るが、開発中止と
 なる。 何を開発しても量産化が中止となり、商品企画は何をしているんだ! の感じ。
1999年
387
 JS750
量産中止
 2st2気筒744cc 86ps/7,000rpmエンジンを試作して目標出力を得られ、量産
 向けて金型も起こすが、商品企画の不手際で量産化は中止となる。
1999年
287
 JS800
量産中止
 387をベースにボアアップ φ80→φ82をして出力を86psから90psに高め
 118船体に搭載するが、又々々、量産化は中止にされてしまった。
1999年
間欠噴射DiE/G
 機能試作で中断  JS1400Diエンジンを使って間欠噴射に改造すれば2stエンジンが4stエンジン
 となり、排ガスと共に燃費が良くなり、掃気が良くなり出力は半減しないと考えた。
 しかし、ダイレクトインジェクターを製作している米国のOMC社が倒産してしまい、
 間欠噴射用のプログラムが手に入らなくなり、敢無く開発中止となる。
1999年
785
JS1200
機能試作のみ
 カワサキ初のジェットスキー用4stエンジンの機能試作を行う。 ZX-12Rのスーパ
 ースポーツエンジンの諸元を基に出来るだけ部品も流用して試作エンジンを作る。
 ジェットスキー用エンジンの排ガス対策はDiエンジンでも進められており、4stエン
 ジンの開発にストップが掛かってしまった。 初期出力は115ps/7,000rpmが得ら
 れた。
2001年
785改
 JS780  ジェットスキー用4st4気筒1,200ccエンジンを開発する。 1997年
7820試作
 7820  ジェットスキー用4st4気筒1,200ccエンジンを開発する。 2003年~
7850試作
 7850  ジェットスキー用4st4気筒1,500ccエンジンを開発する。 実は 7820を開発
 時に7850を見据えて開発していた。ボア径以外は7820と同じ。
2003年~
7820量産
 STX-12F  カワサキ初のジェットスキー用4stエンジン艇120psを量産する。 2003年販売
7850量産
 STX-15F  1,200ccの7820をボアアップにて1,500ccに排気量アップして152psを得る 2009年販売
1969
 JS1000
試作艇
 一メカニックの遊びで業務時間外の作業で2st750cc立ち乗り艇に4st1,000cc
 エンジンを搭載する。 昭和池で試走するがエンジンが重く残浮力がないので沈没しな
 いか冷や冷やものであったが、大爆走が出来た。 試乗は1回のみ。
2005年
7800案
 計画のみ  ジェットスキー用4st4気筒1000cc 廉価版エンジン。 1997年
3925案
 計画のみ  7850のエンジンを2気筒にし750ccエンジン。 1997年
ジェットスキー開発部門に転籍となる。
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
2101 機能試作E/G  1,000ccにて200psを発揮する ”ZX-10”にS・C(スーパーチャージャ”を
 搭載して300psを目指す過給エンジンを試作する。
2009年
8200 ---  2101の開発でリッター出力300ps以上の目途が付いたので、本試作エンジンの
 試作に入る。 試作までした究極の水冷ICは本部長の意向で採用されず。
2014年~
H2,H2R Ninja H2/H2R  リッター出力300psの量産車開発を始める。 量産直前にて退職となる。 2015年
スーパーチャージャーエンジン開発部門に転籍となる。
ーーー 編集作業中 ーーー
1968年:山本隆がモトクロス セニア250ccクラスと90ccクラスのチャンピオンを獲る。
1968年:4月に川崎航空機に高校卒定期入社。 半年間は実習生として研修を受ける。
        山本隆が予定だった。 夜勤のある給料の多さにびっくりして退職を見送る。
        山本隆がモトクロス セニア250ccクラス、星野一義がモトクロス セニア125cc
        と90ccのチャンピオンを獲る。
1969年:明石工場の敷地内に戦車が走っていてびっくり! ディーゼルエンジンをガスタービン
        に積みかえるテストをしていたらしい。
        小型エンジン技術部門から設計要員としてピックアップされる。
        小型エンジン技術部はイセキ等への農業用小型エンジンの開発部であるが、農業用小型
        エンジンの開発からは離れて、KT300船内外機エンジン、
        X28スノーモービルエンジン、X51ミニバイクエンジンを担当する。
        山本隆がセニア モトクロス90ccクラスのチャンピオンを獲る。 これにてセニア90
        ccクラスは廃止される。
1970年:アメリカ、カナダではスノーモービルのレースが盛んになり、アークティックキャット
        社にレース用スノーモービルエンジンの供給が始まる。
1971年:JS400エンジンの開発がスタートする。
        1972年:2月~4月、沖縄屋我地ビーチでのJS440のサーフ耐久メンバーとなり
        怪我人続出の中、2ヶ月間の過酷な耐久走航を続けた。
1973年:2月~3月、同じく沖縄屋我地ビーチでJS650の走航テストと走航耐久ストを
        行う。 斜流ポンプ、出力カップリングの開発が主な業務だった。
        設計事務所に転がっている2st水冷スケアフォオの750ccエンジンを見た。      
        開発コード:0280 で開発は順調だったが米国の排気ガス規制でぽしゃったらしい。
1974年:小型エンジン開発部門の縮小に伴い、二輪車開発部門のモトクロスレース部門に転籍と
        なる。 念願のモトクロスファクトリーチーム入りを果たせた。 まずはKX125SR
        のファクトリー車用エンジンの開発を命じられる。 加藤文博氏のオーダースーツである
        KT330をトライアルレース用に3台のみ製作する。
1975年:加藤文博が全日本トライアル選手権の年間チャンピオンを獲得する。
        自社開発のロータリーエンジン ”X-99”がゴミ箱に数台捨てられており、びっくり
        する。 ”X-99”の量産化はぽしゃったのか?
1976年:竹沢正治が全日本モトクロス選手権にてセニア250ccクラスで年間チャンピオンを獲る。
        四級小型船舶免許を取得する。
1977年:個人的な海外旅行で、グアム、サイパン、トラック、ポナペに行く。
1978年:
1979年:職場のレクレーションとして高知県の生見海岸でジェットスキーの試乗会が行われた。
1980年:
1981年:
1982年:
1983年:エンジン設計は明石、車体設計は米国で三輪スポーツバギー車の開発が始まり、
        販売後は大ヒットする。 スタジアムスーパークロスでは全戦全勝となる。
1984年:三輪スポーツバギー車KXT250開発で本部長表彰を受ける。
        その後、三輪バギーを一番生産していたH社が三輪バギーの危険性で訴えられて、
        各社共に三輪バギー車の生産を止める。 
1985年:子供向けジェットスキー JS300の試作設計を開始する。
        岡部篤史ライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級125ccクラスで
        年間チャンピオンを獲る。
1986年:東京ボートショーに行く。 小型船舶免許 失効再交付。965機能試作艇実走テスト。
        全日本SB選手権スズカ大会  梁明3位、武石伸也5位、高橋芳延11位。
        開発コード:789の試作承認が下りる。 開発コード:118Aの計画を始める。
        全日本SB選手権菅生大会 柳川昭 2位、梁明 4位、塚本昭一 5位、武石伸也 7位。
1987年:岡部篤史ライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級125ccクラスで
        年間チャンピオンを獲る。 開発コード:789の試作エンジン組立開始。
        789の開発凍結が決まる。2stDiエンジンに負けた様だ。
1988年:岡部篤史ライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級125ccクラスで
        年間チャンピオンを獲る。
1989年:
1990年:
1991年:
1992年:技術部から販社のロードレース運営チーム KRTに出向となる。
1993年:ロードレーサー オーストラリアテスト。 スズカ8耐初優勝。
1994年:
1995年:ジェフ・マタセビッチライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級250cc
        クラスで年間チャンピオンを獲る。
1996年:ジェフ・マタセビッチライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級250cc
        クラスで年間チャンピオンを獲る。
1997年:ジェフ・マタセビッチライダーが全日本モトクロス選手権 国際A級250cc
        クラスで年間チャンピオンを獲る。
        CATIAの講習会が始まる。複雑で付いて行けない。
1998年:開発コード:822 マッスルクラフトジェットスキー用2st3気筒1400
        ccのエンジン試作を始める。
1999年:
2000年:マッスルクラフト 開発コード:882の試作設計を始める。
2001年:開発コード:387 2st2気筒750cc試作エンジンの試走を行う。
        開発コード:287 開発コード:387のボアアップエンジンを試作する。
        開発コード:785 趣味でジェットスキー用4st4気筒1200ccエンジン
        を試作する。
2002年:
2003年:PWC部からCKD部に転籍となり、チェンジ機構の設計を始める。
        CKD部に所属しながら4st150ccモトクロスエンジンの設計を始める。
        ジェットスキー愛好家でJS550を購入して社内クラブを創設する。
2004年:
2005年:
2006年:開発コード:4042 中型免許対応でW650を400ccにストロークダウ
        ンした営業、販社要求の低性能エンジンを量産する。
        開発コード:2310 ZXR1000の'08モデルに着手する。
2007年:
2008年:ZZR1400をボアアップして排気量を1,352ccから1,441ccに変更する。
        開発コード:2101 スーパーチャージャ1,000ccエンジンの設計を始める。
2009年:開発コード:2101 試作エンジンを組立てる。
2010年:2101の目標がマッスルエンジンからエコエンジンに変更となるが大失敗となる。
2011年:スーパーチャージャーエンジンがエコエンジンにならないことが判明する。
2012年:開発コード:8200をマッスルクラフトエンジンに切替える。
2013年:開発コード:8200 にてリッター出力300ps以上に目途が付く。
2014年:川崎重工業を勤続46年で定年退職する。
エンジン開発コード 製品機種名 業務内容、エンジン諸元 開発時期
KE125改  量産ならず  編集中。 1995年
KX150F  量産ならず  モトクロスレース界にも排ガス規制の波が来て、2stエンジンから4stエンジンへの
 移行が始まったが、同排気量では同等には戦えないので4stエンジンには排気量の増量
 のハンディが与えられた。 2st85ccクラスは4st150ccとなる2倍近いハンディが  与えられ、その4st150ccエンジンの新規設計を依頼されたが・・・
2003年
4042 W400  W650をストロークダウンした中型免許で乗れる ”W400”を量産化する。
 性能が低いのが女子受けしたらしいが、設計的には汚点となった。
2005年
2310 ZX-10  SBKロードレース車のベース車両となる1,000ccスーパースポーツ車を新規開発
 する。 排ガス対策、騒音対策を行いながらリッター200psを確保出来た。
2006年
モーターサイクル車開発部門に移動となる。
タイトル 会 場 内容詳細 訪問日
川崎重工業の沿革 モーターサイクル
事業部
 川崎重工業 小型エンジン、モーターサイクル事業部の歴史を見ることが出来る。 ---
明石工場歴史館 コレクションホール  工場内に歴史車ミュージアムがあるのは知っていたが、館内を見学するのは今回が
 初めてとなる。 仕事仲間と小生の退職記念写真を撮る。
2014年6月27日
カワサキ・ワールド カワサキ
ワールド
 川重社員には無料券が配布されるだろうと思っていたが、割引券も無かった。
 退職後に ”H2R”をどう解説しているのか聞きたくて行ってみた。
2015年7月7日
川崎重工関連部門
1988年、往年の川重幹部、レース監督、チャンピオンライダーの面々。
2010年、川重幹部と往年のチャンピオンライダーが終結。 名前が判る方は8割程。