Sea Map:神戸港を出発後、沖縄徒歩旅行、観光をして石垣島へ。石垣島で一泊してから小さな船で西表島に渡る。
Route Map:地元の人からは一日で横断出来ると聞いていたが、道迷い、装備の重さ、蒸し暑さでの一日では横断出来なかった。
ふと、若い時に行った西表島の横断を思い出し、ネットで調べてみると当時歩いた古見村落からの道は崩壊しているらしい。
沖縄渡航にはパスポートが必要な時代だったので、要領が判らずパスポート取得だけで県庁に3回も足を運んだ。 当時は高校3年生、体力はバカ程あったと思うが、キスリング、テントが重く、自炊道具を始め水中銃、釣り道具まで持っていたので装備は20kgはあったと思う。
その装備重量に対して足元はぞうりであった。 当時、カラーフィルムは値段が高く、一般的ではなかったが、沖縄に行くなら絶対カラーフィルムと無理をして買って行く。
西表島までの足取り
7月20日に神戸港を出発して船旅が3日間、沖縄南部戦線跡を徒歩で3日間歩き、沖縄観光後、石垣島への船に乗る。 西表島に着いたのは8月2日、豊原の海岸でしばらくはサンゴ礁の海を堪能する。
当時の西表島には食堂が無く、売店もほとんどが取寄せとなっており食料はほとんど手に入らなかった。 海で採った貝と農家で貰ったパイナップルで餓えをしのいだ。
沖縄旅行回想録
何故かもう一度、西表島に行きたいと思うようになり、急遽、回想録をまとめてみたが、41日間の旅行中、
1回も有料施設には泊まらず、持参した重いテントも1回も張ることなく、公民館、学校を無料で泊まり歩いた。
西表島の横断は当初の予定には無く、海岸線を歩いて潜りを堪能するはずであったが、周回道路が出来ていない
とのことで、今考えても怖い密林歩きとなった。
現在の山行きスタイルである軽装備、登山靴なら充分一日で横断出来ると思うが、この歳では真夏の密林歩きは
辛かろうと思う。 雨季の終わった春先にでも行ってみたいが、交通費を考えると・・・である。
ダイビングをする為に石垣島、西表島に行ったのであるが、山のHPなのでダイビングの話しは割愛する。
この旅行でサンゴ礁の海に潜ってから、海の虜になり、年に2回は奄美、沖縄の離島に行く様になった。
標高差:不明
『沖縄旅行回顧録』 高校3年生の夏休み、返還前の沖縄を旅行する。
沖縄県八重山郡竹富町
今日は朝、昼抜きで貰ったパイナップルを1ヶ食べただけ。
所帯道具が多いので食事を作る為に一旦広げると後、パッキングするのが嫌になる。
'67年8月2日:石垣島から西表島の大原に渡る。
西表島へは漁船の様な小さな船で家畜、食料と同じに扱われる。大きなモンゴウイカが泳いでいた。
途中、竹富島の横を通るが、正に標高が無く薄っぺらい島だ。 どこかの大学の探検部と一緒になるが、西表島に行くのは大学探検部くらいしかいない。 西表島までは海底が浅く、ずーっとサンゴが見えていた。
仲間川の観光船
大原村落に着くと行き成り漁師風の親父が寄ってきて仲間川のジャングルを見に行かないかと勧誘してきた。 貸切3$を2$まで値切って乗ることにした。
約8kmを遡り1時間で船が進めない浅瀬に着く。 ここで降りてジャングルを散策するが、ヤシの群生、綺麗な鳥がおり流石は西表島と感激する。 裸足で歩き廻るおっさんからはここから島を横断する道があると聞かさせるが、この時点ではこんなジャングルを横断したいとは更々思っていなかった。
小さな船で流れの無い仲間川をどんどん上流に上がっていく。
水は淀んで綺麗ではないが、小魚が水面を跳ねている。
大きなシダやヘゴの木が茂り南国感はたっぷりである。
豊原でサンゴの海を堪能する
大富村落の公民館で一泊した後は豊原村落に移動しここでも公民館を借りて宿泊する。 豊原の海に潜り圧倒的な透明度とサンゴ礁に感激し、いつもでも泳いでいた。
魚を突くまでのテクニックは持ち合わせていないのでおかずにする貝を沢山獲る。 地元の人に砂浜を掘ればハマグリが出てくると教えられ、一生懸命掘るが小さな白い貝しか出てこない。
後で知るのだがその貝がこの辺ではハマグリと言っているらしい。
パイナップル畑に行って謙虚に ”パイナップルを分けて下さい”と言うと100%只で貰えた。 味を占めてあちこちでパイナップルを貰い飯代わりにする。
完熟パイナップルは目茶苦茶美味かった。
テントを張るのが邪魔臭いので村長に頼んで公民館を貸して貰う。
当然、無料であり、ヤモリが這い回っているのは我慢するしかない。
ちょっと散歩をしている内にネズミに米袋をかじられた。
豊原村落から古見村落に移動
炎天下を歩いているとジープが来たので止めて乗せてもらう。 おっさんに「徒歩旅行は歩くのが本分だろう」と言われたが別に徒歩旅行で来た訳では無く金がないだけと苦しい説明をする。
一番最初に古見小学校が目に付いた。 2つしかない教室に大学生が先に入っていたが、隣の教室を使って良いとのことで管理者に使用を頼みに行き、2日間貸してもらえることになった。
先人の大学生はここに長いらしく色んなことを教えてくれた。 古見では干潟でグンタイカニと遊んだり、夜にはハブ探しに出掛けたりと楽しく二日間を過ごした。
夜空の星の数は特筆もので毎日、天ノ川と流星を眺めていた。
島の反対側までは海岸沿いの道路を歩いて行くつもりであったあが、地元の人はそんな道路はないと言う。 反対側まで行くには島を横断すれば1日で行けるらしい。
しかし、問題発生、古見の村落にはお店屋が無く、横断中の食料が買えない。 近所のガキから自転車を借りて大富村落まで買出しに行くが、くそ暑い中、往復16kmを走って買えたのは菓子パンだけ。
島横断の食料は菓子パンだけとなる。
古見小学校。 右が大学生の探検部、
左が我々が貸してもらった教室。
'67年8月8日:西表島横断出発
朝寝坊をしてしまい6時40分に古見村落を出発。 横断路に入ると一面に草が生茂っておりズボンは夜露でビショビショになる。途中、道が分かれていたので感で右側を選んだが間違っていればジャングルを徘徊することになる。
湿地帯に出ると道が大きな水溜りに浸かっており、深そうなので木に掴りながらターザンごっこで渡り切る。 更に大きな水溜り(池)に出くわし2mはあろうかの
シダを掻き分け迂回する。 密林は太陽光線を遮ってくれるが、その分、風が通らず蒸し暑い。 カンガルーの様に後ろ足で走るキノボリトカゲやカラフルで大きなヤスデの親分が居たりする。
そうこうしている内に相棒がヤマビルにやられた。
イリオモテヤマネコが発見されて間もなくであり、イノシシやハブも
多いらしい。 道間違いからこのジャングルを3日間さ迷った人も居るとか・・・
昼なお暗い横断路は蒸し風呂の様に暑く、
道もシダの葉に隠れて不明瞭なところが多い。
アクシデント発生
俺の左足が腫れてきた。 古見の干潟で遊んでいる内に貝殻で少し切った覚えがあり、そこが化膿している様だ。 酷くなる前に横断を済ませてしまいたいが、道を見失ったり、渡れない沢が出てきたりと時間だけが掛かり疲れも溜まってきて、中々前に進まない。
結局、14時間歩いて日暮れの時間切れとなり沢の辺の岩の上でビバークすることになった。 ビバークしても晩飯も明日の朝飯も無しの状態である。
稲葉村落の親切なおばあちゃん
8月9日横断2日目: 岩の上でビバークしたので体のあちこちが痛い。 今日も道を見失い、沢で行く手を阻まれてやっと稲葉の村落に出た。村落と言っても今は家が1軒建っているいるだけ。
井戸水をバケツで汲み上げて飲んでいると家の中からおばあちゃんが出てきて、その水は汚いから家でお茶でも飲めと誘ってくれた。 昨夜から何も食べていないと話すると、朝飯を作ってくれた。
しかし、この朝飯に出た小魚で蕁麻疹が出てひどい目に合う。 稲葉の村落から小さな峠を越えると干立の村落に出て、道路を少し歩くと最終目的地の祖納の村落に着いた。
見たいと思っていた ”カンピレーの滝”は、どこで通り過ぎたのか
見れないまま歩いている。 蒸し暑さで首に巻いていたタオルから異臭がしてきた。 (実は ”カンピレーの滝”の横を通っていた。)
きれいな沢で昼飯にする。 横断中の朝飯に菓子パンを食べ、昼飯も菓子パンだけである。 沢にはテナガエビが沢山泳いでいる。 ゆっくり
歩きならこれを捕まえて料理したいところだ。
祖納の村落に着き、俺は診療所探し、相棒は小学校を借りる手はずを取る。海岸はこんなにきれいのに泳げないなんて・・・
密林歩きから開放されて干立村落に出ると有名なヤシ林が
見えた。 時間は掛かったものの無事横断出来て良かった。
足の化膿顛末記
診療所に行くとヤブ医者は昼寝をしていた。 麻酔もせずに親指から膿を出そうと
力一杯押すので痛くて声が出てしまう。 それを何回も繰り返すので切開して膿を出してくれと頼むが、丁度、大きなタコが出来ているのでそれは出来ないと言う。
化膿止めの薬を貰って小学校に行くと、次は体中に蕁麻疹が出てきて痒くてしょうがない。
足の腫れは診療所に行ってから更に酷くなあり、小便に行くにも歩けず相棒におぶってもらう。相棒は学校の調理場を使って晩飯も作ってくれた。
毎日、診療所に通うが一向に良くならない。 西表島にはもう1週間は居たかったが、石垣島に渡ってまともな医者に見てもらうより手はない。
8月11日:石垣島に帰り、タクシーに乗って八重山病院に行く。 病院は夜の10時までやっていて診察して貰えた。 申し込んでしばらく待つと手術をしてくれた。
先生からお前ら臭いから風呂に入れと言われたが、その夜は石垣市でお寿司を御馳走してくれた。 病院近くの公民館を借りてしばらくは通院生活をする。
西表島での診療所の治療費は踏み倒し、八重山病院は無料にしてくれた。感謝!
8月24日:沖永良部島に渡る
沖縄に戻ってからは北部の海を潜って遊び、西表島に次ぐ目的であるケービング(洞窟探検)をする為に沖永良部島に渡る。 1日目はケービング練習の為に観光鍾乳洞である昇竜洞を見学する。
2日目に一般者立入禁止の”沖永良部洞”を鉄条網の柵を潜り抜けて入り込む。 観光洞は光りを当てる為に石筍にコケがが生えて黄色っぽくなっているが、閉ざされた鍾乳洞の石筍は真っ白でキラキラしていた。
コウモリが頭の廻りを飛び交う中、奥へ奥へ進んで行くと次第に狭くなり、這いつくばって進むと又、広い空間に出る。 繰り返していると体が鍾乳石に挟まれ動けなくなってしまった。
じりじりと後退りして難を逃れるが全身泥だらけとなる。 感激の連続でケービングを終える。
この時、カメラにはストロボ機能が付いておらず、洞内の写真が撮れなかったのが至極残念であった。
鉄条網で囲われた ”沖永良部洞”入口。 立入禁止とは書いていない
ので入らさせて頂きました。 観光鍾乳洞とは違う真っ白に輝く鍾乳洞
に痛く感激した。
平得公民館の内部。 2人のキスリングの中身を広げると結構な量の荷物となっている。 公民館は広く快適なのであるが、唯一水道がないので、シャワーを浴びる時には管理人さんの家まで行く必要があった。
手術当日は病院横の保険所で泊めて頂き、あくる日の8月12日からは
病院近くの平得公民館を5日間の約束で借りて通院生活をする。
公民館の管理人、御近所の人が親切で食事に呼んでくれたり、食事の差し入れを持って来てくれたりと至れり尽くせりの5日間を過ごした。
”川平湾”はこれまで見た日本の海で一番きれいと思った。
後に ”川平湾”が石垣島の一大観光地となる。
8月15日、バスに乗って ”川平公園”に行く。
手術後なのでこのきれいな海で泳ぐことが出来ないのが至極残念。 まったりと眺める。
金のない高校生なのに、高価なカラーフイルムを持って行って大成功だった。
夕暮れ時の祖納の海。 足の化膿さえなければこのきれいな海に潜り、食料を調達出来たのに・・・
いりおもでじまおうだん
(当時18歳)