三重県からサイクリング
1964年12月27日〜31日

 

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三重県桑名市周辺
(当時15歳)
その他』 サイクリングで三重県桑名市の親戚の家に行った記憶と記録は無くなってしまった。
御在所山(1,212m)
  1964年、友達2人と三重県桑名市の親戚の家までサイクリングで行ったのは覚えているが、
その時、自転車を親戚の家に置いて電車で帰宅した様であるが、それが何故なのか覚えていない。
  今回はその桑名市の親戚の家に預けた自転車を取りに行くのが目的であるが、その序でに周辺の
観光と御在所岳への山登りを行ったが、どれも記憶には残っていない。
兵庫県西宮市から三重県桑名市へサイクリングした時は1964年なのは判っているが日時は現在不明である。
桑名市の親戚の家でお世話になったが、その時の写真は4枚が手元に残って
いるのみで、それ以外の写真は撮ったのか撮っていないのかも不明である。
親戚のおじさんが真冬のアユ引っ掛け漁とキジ打ちに
連れて行って貰ったのは薄っすら覚えている。
おじさんが使っていた散弾銃と猟犬。
夕食のキジ肉料理に散弾銃の弾が出て来たのを覚えている。
12月27日、西宮から電車に乗って桑名の親戚に預けている自転車を引き取りに行く。
この地図を残していたので行動の詳細が判ったが、記憶には何も残っていなかった。
国鉄西宮駅から東海道線に乗って天王寺に向かう。
天王寺駅で関西本線の準急に乗り換える。
国鉄の関西本線には初めて乗った。
若いから立っているのでは無く、座れる座席が無かっただけ。
話しは飛んで、桑名市の親戚の家に預けていた
自転車を引き取り、名古屋城までサイクリングをする。
写真が残っているからコメントを書いているが、実際は何も覚えていない。
上の鉄橋は ”揖斐長良川”に架かるものなのか?
12月28日、桑名の親戚の家に1泊して、名古屋城見学に自転車を走らせる。
目的の ”名古屋城”を見学する。
ネットから拾って来た ”名古屋城”のイラスト。
同じく月夜の ”名古屋城”のイラスト。
12月29日、電車で桑名の近くにある ”御在所山”(1,212m)へ登りに行く。
長年、どの登山道から登ったのか不明であったが、
”蒼滝”、”藤内小屋”を通っていることから ”裏登山道”なのが判った。
小学校からの同級生。
西宮から広島までサイクリングをしたことがある。
HP作成に当たってネットから探して来た裏登山道入口の写真。
この写真を見る限りでは千m級の山に登るのに
水も弁当も持たないまったくの手ぶらであった。
沢なのか滝なのか? 詳細は判らない。
途中の神社で休憩している。 おいらは日記を付けているので、
当時の日記が家のどこかにあるはずだ。
”蒼滝”の滝見橋に着く。
背後には落差約10mの分岐斜瀑の ”蒼滝”が流れ落ちている
はずであるが、白黒写真にはまったく滝の姿は見えていない。
中央においらが座っているのだが、滝も人物も判断出来ない。
”蒼滝”の全体を見ている当時の写真。
”蒼滝”の思い出がまったく残っていないので、ネットから綺麗に写っている
”蒼滝”の写真を拝借して来ました。 これを見ても何も思い出さない。
当時にも滝見台があったのかは不明であるが、こんな綺麗な滝を見ていたんだ。
”蒼滝”が斜瀑の分岐滝なのがよく判る。
冬季無人解放された ”藤内小屋”で休憩する。
当時、中学3年生に冬季無人解放の意味が判っていたのだろうか?
”藤内小屋”で記念撮影。
”藤内小屋”からは険しい登山道が続く様になる。
これが登山道なのかは記憶に無い。
何で手ぶらで登っているのか? 今では信じられない。
疲れているのか? こんな顔なのか?
飲み水も無いのに元気そうである。
登り時間不明で ”御在所山山頂公園”に着く。
ここが三角点のある場所だろうか? 現在とは様子が違っている。
2006年3月に登頂した時の写真
背後に ”鎌ヶ岳”(1,161m)を望む展望地。
冬季運休のリフトに乗って遊ぶ中学3年生。
展望地に座る?
”御在所山”の山頂にどの位居たのかは不明であるが、
登って来た ”裏登山道”で下山する。
下り初めは険しい登山道だったのであろう。
背後に ”御在所山”の山頂付近が見えている。
ここはどこ? どこに何があったのか判らない。
”裏登山道”の登り口付近まで下って来ていると思われる。
飲まず食わずで ”湯の山温泉街”まで戻ってきた。
冬なので喉は乾かなかったのだろう。
”湯の山温泉郷”にあった ”近鉄観光ホテル”。
”観光ホテル”で飼育されていた犬なのか、熊なのか?
近鉄湯の山線の ”湯の山温泉駅”から帰路に着く。
バスに乗っている写真であるが、近鉄桑名駅から
親戚の家までバスに乗ったのだろうか?
自転車で行っているのに親戚の家の住所が判らない。
現在のカラー写真なら相当綺麗かった青空の写真。
12月30日、お世話になった親戚の家を出て自転車で帰路に付く。
12月31日、帰路の途中で1泊してサイクリング最終日を迎える。
京都大学園芸部の小さな温室に立ち寄る。
外気温度が低いとのことで温室内には入れてくれなかった。
当時、西宮カクタスクラブの会長をしていたので、
サボテンには大いに興味があった。
屋外の ”リュウゼツラン”と ”ウチワサボテン”。
直径60cmはあろうかの ”キンシャチ”。
温室のサボテンとしては定番である。
当時、この ”キンシャチ”のサイズは日本一らしい。
国道171号線、武庫川に架かる ”甲武橋を渡り西宮市に入る。
武庫川沿いの優美な松林が迎えてくれた。
1964年は ”東京オリンピック”が開催された年だった。
大津から西宮まで70km程であるので走り通すことも可能であったが、
余裕を見て琵琶湖湖畔にある ”富美乃家”で素泊まりすることにした。
ネットで ”富美乃家”を探してみたが、見付からなかった。60年の歳月は長かったか!
琵琶湖湖畔に建つ会館はお城の様な風情で、
中学生ながら税金の無駄使いを感じた。
余談ではあるが、おいらは柔道部で丸刈り頭をしている。
旅館から直ぐ近くの ”琵琶湖湖畔会館”に行ってみる。
年末なのに中に入ることが出来た。
通称 西国街道の 国道171号線の途中で休憩する。
食堂で日記を付けている2枚目の写真があった。
旅行記を書いていたのは間違いない様で、
どこかに旅行記が残っているはず。 と思うが・・・
名古屋城内に入る入場料は20円だった。
天守閣には上がっていない。
売店でアルバイトしていた学生さんと仲良くなり、
住所を書いてもらったが、そのメモを失ってしまった。
2024年12月20日にHP作成
自転車でも有料になる道路があったことは覚えていない。
我が愛車はプロ女子競輪選手の姉貴から譲り受けた物で、クロモリF/Mで
車重は6kgしか無かった。 当初、踏み切りでブレーキが付いていなかったが、危険過ぎるので後輪のブレーキだけ使いかした。 灯火類は無しである。
小学5年生からの友人とは、1964年10月に西宮から、
舞鶴の天の橋立までの往復サイクリングを達成している。
不眠での31時間は辛かったのを覚えている。
名古屋城公園ではしゃぐ。
木曽川の河岸道路でおいらのチャリを試乗する。
冬休みなので集まってきた近所の小学生。
白黒写真でもこれだけ下手なのは珍しい!)
道中でドカヘルを拾った様で、以後はそれを被って
サイクリングを続けている。
当時、コンビニなんての便利な店はなく、
食堂の水道水で喉を潤している。
バカだった時代。
本当の事故に合わない様に!
道中、最大の難所、国道1号線の ”鈴鹿峠”を越える。
長く辛い登坂が続く。
当時の状況は判らないが、疲れ果てているんだろう。
”鈴鹿峠”の最高地点にある
”鈴鹿峠トンネル”に着きやれやれである。
自転車にライトが付いていないので、
トンネルを抜けるは恐怖だったろうと思う。
自転車にライトが付いておらず、夜間走行は出来ないので、
明るい内に安宿を探して宿泊することにした。
雪が降らなくて良かった。
  当時、まったく心配していなかったと思うが、今、考えると山歩きにしろ、
サイクリングにしろ、良くぞ雪が降らなかったと思う。
日記帳が出てくれば
  今回の旅行中に付けていた日記帳が見付かれば、その内容に基づいて本HPを改定して行きたいと思ってる。