和歌山県西牟婁郡白浜町
『日本の鍾乳洞』 評判通りに入洞料が高いだけの見るべきものは何もない洞窟散策であった。
ウィキペディアから
三段壁の地底36mmに広がる海蝕洞で、源平合戦で知られる熊野水軍の
舟隠し場の伝承が残る史跡でもある。断崖上から辯天宗本堂内に設置されているエレベーターで地中を降りると、洞窟内部を観覧できる。
200mに及ぶ洞窟の通路内には、史料に基づいて再現された番所小屋や
弁財天、瀬戸鉛山鉱山採掘場跡があり、波の打ち寄せる洞穴が鑑賞できる。また水面近くから聳える三段壁や十像岩を望むことができる。
ただし、波の荒い日は危険なため閉鎖される。
三段壁洞窟
噂通りの入洞料が高いだけで、何の見所もない観光地であった。 これで実際に見たのだから好きなだけ評価をすることが出来る。 言うまいと思っていたが、スタッフにこれでは料金が
高過ぎると言ってしまった。 この後は無料の千畳敷を散策して気分を取り戻す。
今日の観光地巡り
無名海岸 → 三段壁 → 三段壁洞窟 → 千畳敷 → 白崎海岸 → 戸津井鍾乳洞
三段壁洞窟
最近、全国の鍾乳洞巡りにハマっており、和歌山県には2つの鍾乳洞しかないことから、鍾乳洞ではないが三段壁洞窟も鍾乳洞巡りの一環として見学することにした。
三段壁洞窟は友達からも、ネットの口コミでも評判はよろしくなく、入洞料が高いだけで何の見所も何も無かった。の評価であるが、悪口は自分の目で見てからとしたい。
さんだんべきどうくつ
Road Map :紀勢自動車道を南紀白浜ICで下りて県道34号線を西進する。
Route Map:洞内には見るべきものがないので30分は掛からない。
鉛山鉱山(かなやまこうざん)
和歌山県西牟婁郡白浜町にあった鉱山。瀬戸鉛山鉱山とも呼ばれる。金・銅・鉛・亜鉛が採掘された。
天文12年8月の鉄砲伝来以降、銃弾に用いる鉛の需要が増大するようになったという。 1954年
(昭和29年)時点で昭和鉱業(株)が経営していたが、鉛の産出量は微量で主に亜鉛が採掘されていたらしい。
現在の白浜ゴルフ倶楽部、旧白浜空港の西側の地域に約三百の鉱穴(まぶあな)があったという。
史跡として管理され、三段壁洞窟内に鉛山鉱山鉱道跡が展示されている。
これを見てメチャクチャ腹立たしくなった。 ”世界でもめずらしい奇岩”ではなく、
似てもしない岩に無理やり名前を付けているだけではないか。 誇張も甚だしい!
この写真を見て何か似ている岩が1つでもありますか?
右側には大きな ”瀬戸鉛山鉱山”の説明板が立っているが、写真では
読み難いので下に文章で記載します。 大した内容ではありません。
日本一の ”弁財天”と言われている ”井牟婁大辯才天”
(むろだいべんざいてん)にはまったく興味が湧かない。
エレベータに乗って地下36mまで降りる間にオネエチャンが色々説明してくれた。地下にもスタッフが多く、観光地によくある記念写真を撮って後で有料販売する
商法がここでも行われていた。 丁寧にお断りをしておく。
三段壁の敷地内にある ”三段壁洞窟”の入口となる建屋。
入洞料は1300円とくそ高いが、ネットで割引チケットを手に入れれば
千円になるらしい。見学後、千円でも高いと思った。
まずは三段壁の下部に開いている海蝕洞を見る。
これは妥当な見学ではあった。
何やら熊野水軍に関する説明板が提示して
あったが見る気は無く通り過ぎる。
熊野水軍が明り取りをした再現なのか?
この洞窟自体は鉱山として掘られたものなのか、
熊野水軍が掘ったものなのか、気になったところである。
熊野水軍の番所小屋を再現させたものらしい。
外海には波が無いのに海蝕洞内は少し荒々しかった。 こんな所に船が隠せるのか。
今日は荒波が無かったので潮吹きは見られなかった。
何の感動もなく周回を終えてしまう。
蝕洞の一番奥になるところ。