1974年〜

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エンジン開発履歴』 ファクトリーエンジンの開発に携えるとは夢の様だった。
KX125SRのエンジン開発に続き、KX250SRのエンジン開発に続く。
  KX125SRとKX250SRのエンジンは排気量が倍違うが、改良項目は常に同じで、排気量が増えて出力が大きい程、ライダーが全開走行出来る時間が短くなり、耐久性的には
随分楽になる。 KX500SRになると日本人ライダーでは全開走行が出来なくなる。
  全日本モトクロス選手権では 1967年〜1969年代にはカワサキから年間チャンピオンを輩出しそのカラーリングから赤タンク時代と呼ばれていた。
  モトクロスチーム後はセニア250クラスで 竹沢正治ライダーが大活躍を初めて、再出発したカワサキとしては久し振りの年間チャンピオンを輩出した。
  アメリカでは天才ライダー ジェフ・ワードにより、125cc、250cc、500ccクラスで大活躍が始まっていた。   
ファクトリー参戦しているKX125エンジン開発は楽しい仕事だった。
 
会社としては全日本モトクロスチャンピオン、全米モトクロスチャンピオンを獲って欲しい仕事であり、予算はケチられることは無かった。
  当時、会社の近くで全日本選手権が行われ、普段からテストコースに使っていたコースなので、カワサキ従業員の観戦も多く、ライダーはコースを熟知しているので、全クラスでカワサキのライダーが入賞、優勝をした。
  地の利があったコースであるが、コースまでの道路が狭く大型トラックが通行出来ない理由で、ここでの全日本選手権は行われなくなってしまった。
KX125エンジンの開発を通じて
  モトクロス部門の人材は潤沢に居る訳ではなく、KX123エンジンの開発をやりながら、エンデュロー車のエンジン、KX250エンジンの開発も平行して進めた。
  当時、残業時間の規制は無く、好きな時間だけ働くことが出来た。
KX250SR_エンジンの開発


モトクロスレース用ファクトリー車
1975年 ファクトリー車の KX250SRをベースに
市販モトクロッサー ”KX250”が販売される。
58ps/9,000rpm。
1979年 加古川の河原で日米合同テストを行う。
Rrサスはユニトラックに変更となっている。
エアークリーナボックスの試作が間に合わず、アルミ板金で間に合わせた。
最後の空冷エンジン? だったと思う。
アメリカ人ライダーとして 左)ジム・ワイナート
右)ブラッド・ラッキーの勝てるライダーが参加。
日本人ライダーとしては 福本敏夫ライダーが参加。
ロードレースでは日本人も活躍し出したが、モトクロスレースでアメリカ人ライダーの足元にも及ばなかった。
アメリカのチャンピオンライダーを招いて石ころだらけの
加古川でテストするのは如何なものか?
吸気リードバルブは定番となったが、可変排気バルブはまだ付いていない。
市販
クラッチリリースとチェンジ機構。
主断面図。
ヨーロッパ車の真似をしてラジアルフィンヘッドを採用。
KX250SRエンジン組立図  カワサキはこれだけを一人で設計、作図するのだからエライ!
1980年 KX250SR水冷化エンジン走行テスト。
1979年 新春スズカオールスターモトクロスレース。
A級250tクラスでホールショットから抜かれることなく優勝した野宮ライダー。ライダーもマシンもポテンシャルは持っていた。
1979年 カワサキ モトクロスファクトリーチーム。
再び加古川の河原で走行テストを行う。 レースが出来るモトクロスコースが
無い訳ではないが、ちょっとしたテストでは加古川に来てしまう。
エンジンは水冷化され、ラジエータは操安性に悪さしない
Fタンクとステアリングヘッドの間に取付けられた。
整備途中なのでシュラウドは外されている。
エアークリーナボックスはアルミ板から
樹脂板となったが、手作り感は変わらず。
ゼッケンプレートにラジエータが配置されているので、風通しの為にゼッケンプレートはメッシュになっている。
今回は野宮ライダーにダメ出しをして貰う。
W/Pの駆動はKX125SRと同じくネジ歯車で進歩無し。
Rrサスのユニトラックは大幅に走行性能を上げている。
1980年:スタジアムレース観戦にアメリカに出張する。
1983年:水冷化されたKX250エンジンをベースに三輪スポーツバギーを量産する。1985年:アルバイト的?に子供向けジェットスキーエンジンを設計、試作する。
KX500の進化。
モンスターマシンである KX500もKX125,KX250と同様に進化を
続けたが、アメリカンライダーからもパワーの要求は無くなって来た。
むしろパワーが有り過ぎの話しもあり排気量ダウンの要求も出て来た。
適正進化で水冷エンジンとなったが、この頃にはジェットスキーに
転籍になっていたと思う。 しかし、独特のEXチャンバー形状は
図面を書いた記憶が残っている。
モトクロス競技専用車両とは言え、環境対策の波が押し寄せて来て2stエンジンから4stエンジン
車両の並走が可能となった。 4stエンジンは非力で重量が重い為、2st250ccエンジンに対して、
4stエンジンは450ccまで可能なハンディが与えられた。
歴代チャンピオン.xls
1967年〜1999年