『エンジン開発履歴』 ジェットスキー用エンジンの初期はオートバイ部門では無く、汎用機エンジン部門で開発されていた。
JS400 ジェットスキー用水冷2st2気筒400ccエンジン 26PS/6,000rpm
ジェットスキーのアイデアは米国の発明家 ”クレイトン・ジェイコブソン”が発案し、そのアイデアを川崎重工が購入したものである。 基本構造は小型船内機艇であるが、推進はジェットポンプ駆動であり、スクリューが船外に出ていないので安全であり、レジャーには持って来いの構造である。 JS400のエンジンはスノーモービル用空冷2st2気筒400ccエンジンの基本諸元を元に水冷化したものであるが、エンジン冷却水はジェットポンプから取り入れているので冷え過ぎ対策の苦労と同時に砂も吸い上げるのでそれの対策苦労もあったらしい。 スノーモービルと同様にダイヤフラムキャブを採用していたので、艇がひっくり返ってもエンジンは廻り続ける構造になっていた。
ジェットスキーのエンジン開発部門に配属された時にはJS400の量産は始まっており、明石工場でエンジンを製作し、米国、リンカーン工場にエンジンを送付し、完成、販売となっていた。
世の中に無かった乗り物なので米国で大ヒットとなり、カワサキのドル箱となった。 JS400の日本販売は無かった。
美味しい仕事だった。
出張旅費が貰えて旅行が出来て、スノーモービルが乗り放題。 こんな楽しい仕事が世の中にあったのだ。 今回は電装部品メーカーのG測定が目的のテストだったので電装部品メーカーが宿泊費を出すと言ってくれたが、それを当社の責任者である係長が会社の規律からそれを断ってしまった。
勿体ないが、それが当然か。
ジェットスキー用エンジン開発
初代量産の ”ジェットスキーJS400”の基本形状はジェイコブソン氏の
アイデアを継承しているおり、安定性確保の為に船体は大型化をされていたが、
オートバイ以上に素人が乗りこなすには中々難しかった。
ジェイコブソンが手作りした試作艇を試乗したカワサキのスタッフの評価では、
丸太に乗っている様でレジャーボートとは言えない状態であったらしい。
それでもアイデアと基本形状のパテント購入にサインしている。
JS400から始まる水冷2st2気筒エンジンの形態はJS750まで受け継がれており、
低出力エンジンの方が乗り難く面白さも不足するのが判って来て、徐々に大出力化していく。
ジェットスキーに乗り慣れて来るとパワー不足を感じられてくる。 そこでJS400エンジンの
シリンダボア径を拡大し、排気量を400ccから440ccに拡大したJS440が開発された。
その後もエンジンの出力アップ、新型エンジンによる大排気量化が続く。
日本への販売はアメリカからの逆輸入となり、当時の金額で100万円以上した。
JS550中古艇を設計仲間と共同購入する。
2003年8月、ジェットスキーに乗りたいと言う設計仲間と友達のショップで売っていた
JS550の中古艇を購入することになった。 売り出し価格は15万円、それを5万円まで値切り、3人の割り勘で購入する。 元、JS550の開発者なので中古艇であっても整備、修理はお手の物である。 ジェットスキーに乗ったことの無い若者を集めて毎週の走航を楽しむ様になる。
走航ゲレンデは川崎重工技術部が契約している ”昭和池”であり、当時は土日祝日には管理人も居た。 ”昭和池”にはジェットスキーを持っている友達も集まり、毎週賑わっていた。
ジェットスキー用エンジン進化の歴史
開発当初はJS400の26ps非力なエンジンであったが、ジェットスキーが米国で認知され大ヒット商品になると、徐々にエンジン出力が高められ、2020年には4st1500ccスーパーチャージャエンジンにて310ps/8,000rpmにまで高められている。
ジェットスキーエンジンの4st化までは担当したが、スーパーチャージャによる高出力時代には担当を外れて、スーパーチャージャー付バイクエンジンの開発をしていた。
機種名 |
エンジン出力 |
気筒数 |
ボア×ストローク |
排気量 |
定員 |
販売年 |
JS400 |
26ps/6,000rpm |
2 |
φ65×60 |
398cc |
1名 |
1971年 |
JS440 |
27ps/6,000rpm |
2 |
φ68×60 |
436cc |
1名 |
1977年 |
JS550 |
39ps/6,250rpm |
2 |
φ75×60 |
531cc |
1名 |
1982年 |
JS300 |
30ps/6,000rpm |
1 |
φ76×64.9 |
294cc |
1名 |
1985年 |
408船外機 |
50ps/6,000rpm |
3 |
φ?×? |
?cc |
−− |
試作のみ |
X−2 |
52ps/6,000rpm |
2 |
φ76×70 |
635cc |
2名 |
1986年 |
JS650ST |
52ps/6,000rpm |
2 |
φ76×70 |
635cc |
1名 |
1987年 |
JS650SC |
52ps/6,000rpm |
2 |
φ76×70 |
635cc |
1名 |
1989年 |
JETMATE |
52ps/6,000rpm |
2 |
φ76×70 |
635cc |
3名 |
1988年 |
JS750 |
60ps/6,250rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
1名 |
1992年 |
X−4 |
62ps/6,250rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
2名 |
1992年 |
JS750Xi |
72ps/6,500rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
2名 |
1992年 |
JS750ST |
67ps/6,250rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
3名 |
1994年 |
JS750Xi-R |
84ps/6,750rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
2名 |
1994年 |
JS750STS |
75ps/6,500rpm |
2 |
φ80×74 |
743cc |
3名 |
1995年 |
JS900ZXi |
100ps/6,750rpm |
3 |
φ80×74 |
743cc |
3名 |
1995年 |
JS1100ZXi |
120ps/6,750rpm |
3 |
φ80×71 |
1,071cc |
3名 |
1996年 |
789 |
160ps/7000rpm |
4 |
φ83×55.4 |
1,199cc |
−− |
試作のみ |
890 |
125ps/7000rpm |
2 |
φ80×78 |
785cc |
−− |
試作のみ |
624 |
150ps/7000rpm |
3 |
φ80×78 |
1,176cc |
−− |
試作のみ |
294 |
60ps/7000rpm |
1 |
φ84×78 |
432cc |
−− |
テストE/G |
624,882 |
180ps/7000rpm |
3 |
φ87×78 |
1,400cc |
−− |
試作のみ |
785 |
120ps/7000rpm |
4 |
φ83×55.4 |
1,199cc |
−− |
試作のみ |
387 |
200ps/7000rpm |
3 |
φ87×78 |
1,391cc |
−− |
試作のみ |
Ultra150 |
145ps/6,750rpm |
3 |
φ80×78 |
1,176cc |
2名 |
1999年 |
Ultra
130D.I. |
130ps/7000rpm |
3 |
φ80×71 |
1,071cc |
2名 |
2000年 |
STX−12F |
120ps/7,200rpm |
4 |
φ83×55.4 |
1,199cc |
3名 |
2003年 |
1969 |
120ps/7000rpm |
4 |
φ83×55.4 |
1,199cc |
1名 |
試作のみ |
JS800SX-R |
80ps/6,250rpm |
2 |
φ82×74 |
781cc |
1名 |
2003年 |
STX−15F |
152ps/7,500rpm |
4 |
φ83×69.2 |
1,498cc |
3名 |
2018年 |
ULTRA310 |
310ps/8,000rpm |
4 |
φ83×69.2 |
1,498cc |
3名 |
2020年 |
SX−R160 |
160ps/7,500rpm |
4 |
φ83×69.2 |
1,498cc |
1名 |
2020年 |
ジェットスキーレースの歴史(知っている範囲では・・・)
乗り物があればレースが始まるのが米国の国民性であり、ジェットスキーも例外ではなかった。
ジェットスキーのレースが始まった当初は、当然、カワサキ艇のワンメイクのレースであったが、各社が水上バイクを量産化するにしたがい、バイクレースと同じく、各メーカーの競争となって来た。
JS440の国内販売が始まると日本でもジェットスキーのレースが開催される様になった。
初代、国内ジェットスキーレースの年間チャンピオンに輝いたのは、共にジェットスキーエンジンの設計開発を担当していた ”福井昇”であり、後に彼はカワサキを辞めて、ジェットスキーショップをオープンした。
カワサキでバイクの開発ライダーをしていた ”金森稔”氏がバイクのレースからジェットスキーのレースに転向して、3年連続の全日本チャンピオンに輝いた後、渡米してアメリカのジェットスキーレースに参戦する。米国では無名だった 金森氏がジャンプ大会で行き成り優勝して、一躍脚光を浴びる様になる。
ホンダのスタッフ20名と金森ライダー1名の一騎打ち
これは金森氏が連載しているジェットスキーの雑誌を読んだものであるが、当時、カワサキは金森氏へのファクトリー支援を辞めており、レイクハバスでの全米選手権出場には金森氏個人でチューニングしたターボチャージャエンジンを搭載したレース艇を自分で製作し、メカニックも居ない中、レース艇を車に積んでレイクハバスまで車を走らせたらしい。
片やホンダのファクトリーはメカニック、サポータ、技術者、営業関係者を含めて20名以上のスタッフが来ていたらしい。 メカニックも付いていない金森氏は自分でレース艇、エンジンを整備してレースに望み、ホンダのファクリーを打ち負かせたらしい。
この雑誌記事には大きく感激した。
金森氏は2度の全米チャンピオンに輝いており、その後の量産艇のハル形状は金森氏が実走で改良したハル形状をカワサキ技術部が3Dスキャンしてコピーしている。
金森氏はその後、アメリカ国籍を取っている。
JS550中古艇を購入後、昭和池で進水式を行う。 ここから ”550クラブ”が発足した。
丁度、会社の開発ライダーである井上氏が自艇のJS550を持ち込んでいた。
相棒はどこでジェットスキーを覚えたのか、
初期から乗りこなしていた。 参考動画。
元JS440の耐久ライダーであったが、すっかり乗れなく
なっていた。 老体にムチを打って頑張る。 参考動画。